れでも対談はずいぶん面白かった。おれの小説を読んでくれていたの
で、ずいぶん話がはずんだ。あれで二割とは凄い。
雑誌に収録されない部分の会話をご紹介すると、おれが大学時代に
青猫座という劇団で飯沢匡「北京の幽霊」を上演した時の、羅という
中国人青年の科白を朗唱して見せると彼女は、「おかしなところはな
いが、もっとゆっくり」と評してくれた。それにしても五十五年前の
科白を、よくもすらすら言えたもんだと我ながら感心する。また、近
作「ダンシング・ヴァニティ」の中の中国語の詩が正しいかどうかを
訊いたところ、一か所、前置詞である「把」が語尾にくるのはおかし
い、これは不要であると教えてくれた。「ダンシング・ヴァニティ」
をご購入の皆さんは訂正しといてください。
対談の主なテーマはやはり彼女の小説の、日本語に関する問題であ
った。今までの彼女の四作品をすべて読んでいたので、誰が何と言お
うと、これ以上日本語の文章が上手くなる必要はまったくない、この
文章は、方言が標準語に対する批評になっているのと同様、日本語に
対する批評になっているのだし、これくらいのおかしな部分は故・丹
羽文雄も言っていたように、むしろ小説の中で異化効果として、日本
人作家ももっと多用すべきものである、自分などはむしろ、こなれた
日本語を壊すことに苦労しているのだからと助言しておいた。
詳しくは谷崎賞の選評と同じ「中央公論」十一月号に掲載されます
から、そちらをお読みください。
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