年末年始は例年通り、伸輔一家が三十日の夕刻に来て、その晩は京
都の喜美子さんが送ってきてくれたぼたん鍋だ。古傷が痛み出すので
はないかと恐るおそる食べるがやっぱり旨い。三十一日の朝は若夫婦
がおせちを取りに行ってくれる。
カートゥーン・ネットワークが見られるので恒司はずっとテレビに
へばりついている。VODで何百とある映画を選んで、有料で見られ
るようになったのも有難いことだ。大晦日はクリント・イーストウッ
ドの「グラン・トリノ」を見、昨夜は昔の「カジノ・ロワイヤル」を
見た。元旦は年賀状の整理をする。こちらからは出さないことにして
いるものの、くれた人はきちんと記録しておくのである。
二日の今日はおれひとりが家に残り、皆は歩いて二十分の代々木競
技場オリンピックプラザでやっているシルク・ドゥ・ソレイユの「コ
ルテオ」を見に行く。おれは年末に送られてきた大江健三郎の新しい
長篇「水死」を読む。内容が濃いからとても一挙には読めない。楽し
みながらじっくりと読んでいく。
元旦の夜、テレビでやっていた文学番組でマラルメやセガレンやポ
ール・クローデルのことを話していたので、家にあるセガレンの「ル
ネ・レイス」や「碑」などを伸輔に見せてやり、話しているうち、言
語の身体性、文字の身体性について考えることになった。そこへ大江
氏の小説の、「人の書く文字はもうみな辞典に出ておるもので、新ら
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