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偽文士日碌

四月十九日(月):299-300

「日本人ならこれを読め」の次回には、メリメの「マテオ・ファルコ
ーネ」をやろうと思っていたのだが、井上ひさしの訃報があったため
予定を変更して彼の作品をやってほしいとプロデューサーから依頼が
あった。「吉里吉里人」が有名だがそれでは芸にならないから、それ
に並ぶ傑作とおれが思っている「腹鼓記」をやることにする。細部を
忘れているので読み返したが、これとて大長篇であり、えらく時間が
かかる。やはり大傑作だ。彼の才気がこれほど縦横無尽に発揮された
作品はあるまい。資料の裏打ちの確かさは言うまでもないことだ。
 井上ひさしが死んでからしばらくは、茫然として何も手につかなか
った。まったく、彼が死んでこんなに寂しいのであれば、自分が死ん
だらどれだけ寂しいことか。死んで井上ひさしに逢えるのならいいが
どうせひとり、暗くて冷たいところへ行くのに決まっている。ああい
やだいやだ。自分が死ぬなんて場所には立ち会いたくない。副調あた
りへ逃げてモニターで見るくらいならできるだろうが。
 彼の追悼文を書いてくれとあちこちから言ってくるが、ほとんどお
断りする。苦吟して「新潮」に書いたので、もう同じことしか書けな
い筈であろうからだ。
『朝日新聞」の連載は次のル・クレジオ「調書」を渡しただけなので
次の阿佐田哲也「麻雀放浪記」を書き、さらに新田次郎「八甲田山死
の彷徨」を書く。他は何も手につかず。
ページ番号: 299 300

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