トップへ戻る

偽文士日碌

四月三十日(水):761-762

 今日はビーバップの収録。
 ロビーへ入って行くと番組の見学に来ていた朝日放送の新入社員が
五、六人いて、声を揃えて「お疲れさまでした」と言うので、「お疲
れさま」は終ってから言うことであり、これから本番なのに「お疲れ
さま」と言われたらほんとに疲れてしまう。最初はやはり「お早うご
ざいます」か「よろしくお願いします」だろうねと言うと「はーい」
と案外素直に声をあわせた。
 一回めのゲストは社史研究家の村橋勝子。著書の「カイシャ意外史」
を読んで、明治時代、ヤマハの創業者山葉寅楠が河合喜三郎と作った
日本最初のオルガンを、天秤棒で担いで浜松から箱根の山を越え、十
五日ほどかかって東京の音楽学校まで運んだというエピソードがとて
も面白い。この部分、絵本にすれば面白くなるだろうと村橋さんに言
っておく。二回めは国立天文台の副台長・渡部潤一がゲストで星の話。
 帰宅後、光子が伸輔に電話をして、今日の原画展初日の様子を訊ね
る。大盛会だったらしく、絵もたくさん売れたとのこと。平石滋が最
初にやってきて、「聖痕」の表紙の絵を買ったらしい。飯塚弘起も百
五十四回めの鰐娘の回の絵を買ったらしい。大上朝美も来ていたと
聞く。即売している「聖痕」と「壊れかた指南」の本におれと伸輔が
一緒に署名していることを徹底していず、知らない人がいたらしいこ
とは失敗であった。
ページ番号: 761 762

「次のページへ」や、「前のページへ」をクリックすると、ページがめくれます。