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偽文士日碌

十月十三日(日):1231-1232

 台風はあちこちに浸水被害を齎して去って行ったが、わが家は無事
であった。渋谷などという「谷」のつく地名の場所は危ないというこ
とだったし、実際にもわが家の十メートル坂下が例の「春の小川は」
の童謡に歌われている渋谷川なので、増水が心配だったが何事もなか
った。多摩川が世田谷で氾濫したと聞いていたので、世田谷文学館へ
の道路の心配もあったのだが、朝の九時、中垣理子から電話で、予定
通り開館し開催するとのこと。ただ、やはり昨日の初日は臨時に閉館
したらしく、今日も開館は午後からになったらしい。
 光子同道で三時に出発、タクシーで世田文へ。道路が空いていて三
十分足らずで到着。さっそく「小松左京展」の展示を見る。直筆の創
作ノートやメモの量に圧倒される。一旦応接室に戻って豊田有恒と簡
単な打合せ。五時に一階の会場へ。交通の便が悪い筈なのにすでに満
杯だ。菅野館長の挨拶のあと、豊田君と登壇。小松さんの思い出を話
す。結局は彼の発したギャグなどの滑稽譚に終始してしまったが、降
壇したあと瀬川ゆきが「こんなに長く拍手が続いたのは初めて」と言
っていた。一休みしたあと軽食が用意された二階のパーティ会場へ行
くと、すでに大勢が待ち構えていて、たちまち怒濤のような挨拶の応
酬、写真撮影となる。日高敏隆夫人、ノーベル賞の吉野さんと旭化成
で同僚で親友だというJ・PAULさん、川又千秋、巽孝之夫妻、そ
の他懐かしい人たちと歓談。早いめに切りあげて帰宅八時。
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