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偽文士日碌

五月二十七日(水):1279-1280

 もう三十年も前の、「パソコン通信」の時代からおれの会議室で議
論されていたことだが、のちにSNSと呼ばれることになるそうした
場所への書き込みは、署名にすべきである、いや匿名でなければなら
んなどと喧しいことであった。
 今回「テラスハウス」に出演していた女性が自殺したことで、番組
が対応しなかったことを責める向きもあるらしいが、これはそれ以前
の問題であろう。表現の自由か人権かと問われれば一も二もなく人権
であり、さらには命である。これを守るためには誹謗中傷を書き込ん
だ人間の特定が必要であり、署名以外のすべての書き込みを拒否する
新たな制度が必要である。そしておれは、いずれそういう時代が来る
と思っていたのだが、あと何人か自殺者が出れば否応なしにそういう
制度ができるだろう。署名さえすれば表現の自由のもと、逆に何を書
き込んでもよいのである。おれがそうしているようにだ。なぜそれが
できないのか。その書き込みが悪いことと知っているからであり糾弾
されるのが怖いからだ。以前のわが会議室はすべて記名式であったが
それでもおれの意見に堂堂と反論する者もいた。それどころか会議室
の主宰者であるおれを罵倒する者さえ何人かいたのである。
 加害者が特定できる制度ができてから「表現の自由」を叫んでもも
う遅いのだということを、歴史がそれを証明しているということを、
臆病な愚か者たちは知るべきであろう。
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