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読者からのコメント

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2011年9月5日~2012年5月5日のコメント

しにょれ*
2012年05月05日 03:06

「壊れかた指南」文春文庫から発売中をじっくり楽しんで味わい(尽くし)ました。

思うに、あくまでも私的に思うに「壊れかた指南」というタイトルは、一種のエクスキューズを更にカリカチュアライズしたようなと言いますか、パロディーの一種といいますか、そのような名づけ方が成されたのだと感じています。というのも破綻や逸脱、抹消など、壊れることを積極的に作品に取り入れられてきたのは沢山の例が既にあり、例えそれが「原稿枚数の都合により」その他の実際的な動機からであろうと、実験的な試みがなされた結果であろうと、もうこれ以上はどうしようもないという理由であろうと、壊れているなどとは少しも思わないからであります。また登場人物あるいは狸や狐、猫などが最初から壊れている・または壊れてゆく・夢的に倒錯してゆく--というのはこれまた以前からのスタイルでもあります。

それよりも、長編小説を書かれている期間中に、あるいはとんでもない時などに派生的に浮かぶアイデアを、(言葉はまずいかもしれませんが)あまり気を使わずにラフに纏め上げられたといった感じがあって、そうした意識的に力を抜かれた様々なタイプの短編作品集なのだと思って2回、3回と読みました。ラフにといっても精緻な表現力は相変わらず、と言うより益々まろやかに磨かれているように感じますし、いわゆる純文学路線とのクロスオーバーみたいなフィーリングも伴って面白いことこの上ありません。
解説に書かれている「軒下に捨てられたビニール傘」や「禍々しいまでの不吉さ」などとはとんでもないことです。何を言うとるのか。

兎も角、短編の旨味を非常に堪能しました。
シュールリアリズムとSFとのミックス的な「御厨木工作業所」と、意図して長編小説の一部を切り取ったかのように簡略化された「店じまい」については何度かの点検と呼び覚ます力を要しました。どちらともに読者の想像力を極端に必要とした実験的な作品であると思います。「御厨木工作業所」は量子力学から多元宇宙へと向かうSF的志向性、人間の意識内容(または無意識的な内容)が現実の物理世界を変容させてゆくかも知れないという怖いような未来像を想起させる要素もあります。

唐突ですが、エンターテインメントと文学作品とはどういう関係なのでしょうか。
思うに、優れたエンターテインメントは充分に文学的であるし、逆に良い文学作品は必ずエンターテインメント性を帯びている筈です。そもそも、両者が区別されるのは何故かと言うと、そうしたがる人間によって区別されるのです。あたりまえですが。
そして所謂「クラシック音楽」と「ポップス(ジャズ系列も含む)」の関係も全く同じことが言えます。あっ、段々と断定的な書き方になってきました。これはいけません。まだまだ書く予定でしたが、あまりに長くなりそうなので次回コメントへと続くのでありました。なーんちゃって(失礼しました)。

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しにょれ*
2012年04月24日 23:39

知り合いの女性に、「愛のひだりがわ」を喜んで読んだのがいて、犬の口にシェイビングクリームを塗る件を何度も思い出してはけらけら笑っておりました。この女性は僕が「笑うな」をプレゼントした時から筒井ファンとなり、男どものようにむさぼり読むとまでには至らないものの、ビーバップや富豪刑事などの番組を半分以上は笑犬楼様の姿をみる目的でよく観ておりましたようです。僕はTVをあまり観ないので、ああだった、こうだったとその様子を教えてくれました。富豪刑事のエンディングでのギャグは相当可笑しかったようで、何度も同じ事を言って笑っていました。僕も一緒に笑いました。

ビーバップでは、あるとき笑犬楼様の笑顔がにゃんこの目をしているように見えたので、その時から馴れ馴れしくも無邪気にも「にゃんこのおっちゃん」と呼ぶようになり、二人で話す時は「にゃんこのおっちゃん」となってしまいましたが、どうぞお許し下さい。

その女性にコメントを書くように勧めると自分のような無識の者が書くのは恥ずかしいと言って書こうとしないので、同じく浅学者ではありますが僕が代わりに書いておいたという訳です。

「銀鈴の果て」2.5回目(1.5回は2年ほど前)を読み終え、新発売の「壊れかた指南」を読んでおります。駅構内のドトールコーヒーで、アイスコーヒーとタバコ、メインは笑犬楼文学。
至福の時間です。

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けおら
2012年04月21日 23:58

昨年末位からTVを見なくなったのですが、たまに外出先で報道番組とか見ると、
癲癇暴走の件、またもマスコミは差別反対の視点側で癲癇協会側を擁護している様で、、、。

良い喩えかは判りませんが、
例えば足を欠損した人が手だけで運転できる車、と言うものが開発されており、
絶対数の問題で実は事故例が目立たないだけかも知れませんが、
手だけで運転できる車の暴走事故の事例を、私は聞いたことがありません。

本来、癲癇協会の役割と言うのは、
万一の発作の際も安全走行できる車の開発をメーカーに迫る事であって、
効果が絶対でなく、服用を完全には強制できぬが為に死傷事故が頻発する、
医薬品に頼った、現行の運転免許交付の実態と、それが為の犠牲を、
差別反対の旗の下に社会に強制することでは無い筈です。

実状に正対せず、真摯に対応策をとらず、
隠蔽や、議論すら封殺しようとする態度、
マスコミへのロビー活動が、
どれ程大きな犠牲を生み出すか。

私たちは福島原発の一件で、
文字通り身を持って味わう羽目になりました。

それがこの国の普遍的な問題である事を、
今回の一件は如実に示しております。

癲癇協会と、彼らを安易に擁護するマスコミは、
癲癇患者や、その家族達に、
将来、決定的な破滅を呼び込む事になるのでしょうが、
(既に現状で、彼らこそが差別を増進させているのは間違いありません)
事が起きた時には、またも、他人事の様に語るのだろうと思います。

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AKAITOHMA
2012年04月17日 01:46

2004年に筒井先生がお書きになられた喫煙に関する文章を読みました。
2004年嫌煙家の大学教授が、「電車は全て禁煙車両にすべきだ」と某誌面で発言。それに対し「この男は嫌煙家のくせに喫煙車両に乗るのかと思えば『喫煙車両から漏れてくる煙が?』」というような内容のものです。

現在、当時より煙草は値上がりし、喫煙できる場所は減り、いや、減らすことに成功し、嫌煙家のおぞましいほくそ笑みが目に浮かぶ時代となりました。
どれほど陰惨な時代が来ようとも、自分は煙草と共に生き続けるつもりです。

さて、どうしても解せないことがあります。
筒井康隆作「最後の喫煙者」。この作品、書籍で読むことはできるのですが、TV「世にも奇妙な物語」で映像化されたものが、全く現在では視聴することができないのです。これは一体どういうことでしょうか。どこを探してもないのです。
中古DVDなども一切出回っていないようです。見る手段はあるのでしょうか。

追伸:数年前、筒井先生のお宅におかしな男が現れ警察が出動する騒ぎになったことがあったかと思われますが、あれ、知人の知人です。
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しにょれ*
2012年04月16日 02:34

凄味、破綻、表題、迫力、展開、会話、実験、薬物、抹消、諧謔、反復、批評、異化、意識、逸脱、饒舌、羅列、脱臼 は白眉の項目で、中でも 凄味、表題、迫力、展開、(作品によって)会話、実験、抹消、反復、批評、異化、意識、脱臼 は新旧作を通して最も大好きです。

揺蕩は意味が分からず、濫觴 は読みが下らず、ヤフー辞書で調べました。
脱臼は、必ずしも「関節話法」だけではございませんとも。

どのご作品にもいえる(一部脱臼ものを除く(笑))緻密で少しの無駄もない(故意にを除く)構成力・それに関わる文体の適切さは天性のものでありましょうか。前提部・展開部など全体的な構造となる構成はもちろん意識的にされるのでしょうが、細部ではそれほど意識されずにすらすらと進むのでしょうね。天才たる所以だと存じます。

これだから(詳細説明省略)、他の作家の小説が物足りなくなっちまうのです。あ~あっ
「虚人たち」「虚航船団」以降のご作品も皆凄いですが、僕は未だに37歳であらせられた時のご作品「脱走と追跡のサンバ」の、あの豪華絢爛たる、活力にあふれた、冥途への入り口のような、何もかもごちゃ混ぜの世界の心地よさ(???!!)が忘れられないのでぇ、ございます。
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ayanarinayana
2012年04月13日 07:14

京都でてんかんの持病ある30才会社員が車運転して歩行者7人死亡させてます。てんかんと聞く度断筆宣言思い出します。
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しにょれ*
2012年04月11日 22:57

4月9日付けの日録を読み、私的にしまった、書き込みが過ぎた!と気付き、同時に恐縮しています。
私は文章のプロではないのだし、仮にそうであってもコメント欄への投稿として差し出た文言は要注意であるくらいの認識はなくてはなりませんでした。

かと言って、差しさわりのまったくない日常会話の延長を書き込んでも何も面白くありません。

バッハの構築性などをコメントしたのは、日頃から(昔から)御作品に関して感じていたこと--つまり音楽的であると相当に感じること--が思わず出てしまったことでありまして、他意はまったくありませんでしたが、今思えば随分えらそうな物言いでありました。
また、--「不在」では、書き手が変わったのではなく、読むほうの「無意識」が変化しているのです --は、「不在」では、どちらかと言えば読むほうの「無意識」が変化しているのではないかと思います-- くらいにしておけば、まだしも良かったのだと思います。

以後は、真に言葉を謹んで感想を述べたいと思っております。何卒ご容赦お願い奉ります。

現在、「銀鈴の果て」新潮社文庫 --同じものを他人にあげてしまいましたので再度購入・・・このパターンが非常に多いので文庫本専門でもまあいいかと思っておる次第です-- 3回目くらいを読んでおります。これは無茶苦茶様々に考えさせられる、恐ろしい小説です。

「創作の極意と掟」。今から大変楽しみです。
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平凡
2012年04月11日 10:53

濫觴の意味が分からず、辞書を引きました。
ものごとの初め、大きな揚子江も水源地はさかずきをうかべるほどの小川であるという意。濫は浮、觴は杯。

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三原和秋
2012年04月08日 04:11

昨日,いわさきちひろ展を見に神戸へ行きました.最後にいわさきちひろさんの絵が描かれているエプロンを買いました.その後,にしむら珈琲北野坂店でコーヒーを飲みました.この北野坂店は会員制だったが震災後,一般人も利用する事が可能になりました.
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しにょれ*
2012年04月04日 14:52

群像4月号の合評を読みました(書評と言ってしまい、お恥ずかしい- です)。

中条さんだけが過去の作品をよく読んでおられたようですが、どちらにしても碌でもない批評でした。あの程度でいいのなら僕の方がもっとましなことが言えるのだ。

「不在」について、合評を読む前のことですが、ななな、なんと、第2話も台詞のみであることに2度目を読んで気付きました。ああっ最初のコメント時にもっとよく読んでおくべきでした。なんたる不覚!!

しかし、これでいよいよその構成が複雑であることがわかりました。単純なる複雑さ。
私の専門であるバッハではよくあることなのです。

「不在」では、書き手が変わったのではなく、読むほうの「無意識」が変化しているのです。

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めげない しにょれ*
2012年03月30日 02:11

いつもの調子で書きたいのですが、しにょれ*だらけになってしまうっっ。
コメント読者に頭の固いアホだと思われてもあれですので、今日は世俗的なことをコメントします。

イチローは運動能力の群を抜いた素晴らしさは勿論、いろんな意味ですごい。えらい!

メディアへの接し方について: 「メディアと選手というのは戦っています。お互いが緊張しなくてはいけないし、お互いが育て合う関係だと思います。ですから妥協はしたくないのです」

こんな事が言えるスポーツマンは、世界中で彼だけだ。

こんなとこでしょうか。・・・あ、やっぱり固い。

「不在」のご好評、嬉しい限りなのですが、あれくらいのことは笑犬楼的文学としては当たり前中のあたりまえと考える次第でございます。
賛辞を呈しておられる方々の脳内は優れたオムニバス芸術映画となっていることでしょう。
個人ブログでは、「筒井康隆があんなのをかけるなんて」などと言っているのがちらほら。
「その気になれば」いつでも書けたと思わないのか。私は思う。

群像の書評、機会がなく読んでいません。絶対読もう。

「横領」立ち読みしました。村上春樹より面白い。

失礼いたしました。
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しにょれ*
2012年03月24日 22:15

新潮3月号と文芸春秋臨時増刊号「3.11から一年 100人の作家の言葉」を買って読みました。
「不在」は不思議な魅力のある作品でした。

男性全部喪失のエピソードは少しブラックユーモアの感覚、あとの二種は純文学的な感じがし、全体がSFティック ‐‐‐ これだけでも不思議さがあるところへ更に微妙に均衡を保っているようないないような各話の構成なので益々不思議な感覚が募ります。あ、そうか。台詞だけの第4話を別にすれば2種類の話が交代に現れているのだ。
第5話まで一気に読むと、普遍的なテーマあり、現代的近未来的でもあり、終末的または悲劇的な雰囲気なのに陰惨さがなく、いずれも「震災」がささやかなモチーフとなっているのが逆に 3.11震災関連で暗くなっている人々の苦痛を和らげる効果があるような気がしました。

最も求心力が強く前編後編に分断された夫喪失の物語では、妻と子喪失の物語「母子像」を咄嗟に思い出しました。
余談ですが、「母子像」は僕の脳内ではどう言うわけか「脱走と追跡のサンバ」「虚人たち」「夢の木坂分岐点」「ダンシングバニティー」などと薄く連結されております。
そういえば「夢の検閲官」という優しさに満ちた、夢分析の短編もありました。女性の立場(母の立場)に同化したようになり、目頭が熱くなったのを憶えています。

文芸春秋臨時増刊号の「虚構への昇華について」拝読いたしました。
笑犬楼様は政治的、思想的、またはそれに繋がるおそれのあるご発言は常に控えておられるのですね。
作家や芸術家は本当はその方が良いのだと思います。堂々と本心を語られていて素晴らしいご意見でした。

またまた長くなり、失礼いたしました。

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しにょれ*
2012年03月05日 06:05

個人的こだわりで偽文士日碌のはじめからコメントさせて頂く前に、せめて今年に入ってからの日碌についてだけでも先にコメントしておかせて下さい。

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「不在」「三字熟語の奇」「メタノワール」「ビアンカオーバースタディー」「大盗庶機」「横領」すべて今すぐ読みたい。のですが、この中で現在読むことができそうなのは「不在」で、バックナンバーを注文してでも読むつもりです。「三字熟語の奇」「横領」は立ち読みしてやろっと。
思えば、最寄りの書店に筒井康隆著作物があまりにも少なく、いつ見ても同じ文庫本しか置いていないのが腹立たしい。文学界、文芸春秋、オール読み物は置いていて、新潮置いていない。正直に言いますと、ここ2年くらいで購読したのは既読の小説集文庫本再購入を除いて「銀嶺の果て」「アホの壁」「ダンシングバニティー」のみであります。私の生活スタイルは惨憺たるものであり、車も運転せず、電車賃もケチるのが良くないのです。「銀嶺の果て」「ダンシングバニティー」はやはりすごく面白く、短い感想を改めて書きたいです。

超心理学というのは今のところ何らかの確実な成果が得られているのでしょうか。
ビーバップは過去に10回ほどしか見ておりません。というよりも、TVそのものを殆ど見ていません。見る気にならないのです。

ペーターゼンさん、よっぽど「パプリカ」を気に入ったんでしょうなあ・・・。

「震災と日本人の精神」是非拝読したいです。
(去年書かれていた分ですが、野坂氏との往復書簡も是非。)

SF作家クラブパーティースピーチで「もうこれ以上、誰も死なないように」と言われたことはまことに笑犬楼様らしきご発言。同世代の知人友人を失われた悲しみの中にもユーモアが混じっている。
貴方様ご自身が100歳を超えるまで健康を維持して生きて下さい。死ぬのはつまらない。
精神力で細胞に命令し、不老不死を実現できたらすごい。

「家族八景」は故あって観ることができず、ビデオに撮ってもらっていて、後でまとめて観ることにしています。実は第1回放送分の始めだけを観て少しげんなりしました。それにしても原作者に対して「犬をけしかける少女」とはギャグでもウィットでもない。反抗したいのならもっと相手を選びなさい。

河野典生様が3年余りも前にお亡くなりになっていた事を全国的に報道されなかったのがショックです。

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日録1月1日~3月2日までをすっ飛ばしでコメントさせて頂きました。本当はもっと書きたいのですが。

P.S.
前回コメントで「笑犬楼様すてきぃん?」の「?」はハートマークを入力したのでございます。
コメント確認した時にはちゃ~んとハートマークが映っていたのですが・・・。失礼致しました。

ううっと気がつくと、またしても長くなってしまいました。他のコメント者の方もっと長めに書いて下さい。私ばかりが浮いてしまうではありませんか。そうもいかないか。
まあ、今回はまとめて書いたので・・・と言いつつ、次回も短くまとめる自信がないのです。どうしよう。

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K
2012年03月02日 12:59

おともだちにすすめられたドラマで「家族八景」を知りました。
めっちゃ面白くて、毎週楽しみにしています。
(とはいえ、こわいのが苦手なので、どきどきして眠れなくなって涙が出ないように朝観ています/笑)

原作はもっと面白いと教えてもらったので、ドラマが全話終わった後に、本屋さんにでかけて買ってみようと決めました。
今からわくわくです!

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しにょれ*
2012年02月26日 04:03

笑犬楼様、わたしは不覚にもこのような素晴らしいブログを始められている事を長いこと知りませんでした。そして、ブログであるからには笑犬楼様の関係者を除く私のような訪問者すなわち相当に熱烈なファンからのコメント投稿が実現し、それを笑犬楼様がお読み下さる訳で、今更ながらよくよく考えてみるとこれはブログ即ち日記様の作品、あるいは作品全般に対する読者の反応ないしは感想文を読んで頂けるということになり、これはもうほんとうに物凄いことで、『壊れかた指南』は実はまだ読んでおりませんでその内容がどのように壊れかたを指南されているのか、あるいはタイトルとは殆ど無関係な御作品なのか見当をつけることすら出来ないのですが、もしかすると数年前より意識的にそれまでのご自身のイメージを変革なさろうとする心情的大変化がおありになったのではなかろうかと、勝手な憶測をめぐらせております。大のつくほどお嫌いであった筈のTVにレギュラー出演されるなど、なにか余程のわけがあるのだと思っておりました。

偽文士日碌「はじめに」で、‐‐年をとったのでこれまでの「流行作家のパロディー」から「気骨のある文士のパロディー」にスタイル変更し、「死ぬまでこれで通す」‐‐ と書いておられます。文士スタイルはまことにお似合いになり、さまになっておられます。恐らく他のどの作家よりも品格のある典型的な作家のイメージです。笑犬楼様すてき~んっ?

で、何を言いたいのかと申しますと不覚にもコメント投稿者として出遅れた私と致しましてはブログ偽文士日碌の最初から順番にコメントさせて下さいということをば言いたかった訳であります。ははは。
厚かましくて申し訳ありません。

では次回コメントから、よろしくお願い致します。
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三原和秋
2012年02月24日 17:47

もうすぐ神戸でいわさきちひろ展があるからその時にしむらコーヒーで食事します.文学界での新作を楽しみに待っております.
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100円の大根
2012年02月16日 19:39

 今年の運勢も早くも先が見えてきたので、来年こそは良い年にしたいと思い始めるようになった今日この頃です。
 
 小生恥ずかしながら情報誌系以外の雑誌を購入するのは数年ぶりでした(恥)。先ず950円という値段に吃驚しました。しかも筒井先生の執筆の部分だけしか読まないつもりですから少々勿体無い気もしましたが、心から尊敬する筒井先生の執筆は950円でも安いくらいですので損をした気にはなりませんでした。
 
 世間では、出版社の絶賛発売中と映画予告編の全米No.1ヒットとテレビCMの利用者満足度%は信用するなと言われているようです。しかし、作者自ら自信作ですとおっしゃるからには、これはファンとして人肌脱がざるをえないと思った次第でございます。
 
 詳しい感想は評論家に譲るとして、世間での好評に答えて是非Part2、3を執筆されては如何でしょう。あ、それで8まで書いて「不在八景」にするのが宜しいかと。なーんちゃって、非常に失礼しました。
 対不起。
 謝々。
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けおら
2012年02月14日 12:15

今回のドラマの制作者達は、なんでまたそんな剣呑な事をしたんでしょう?
「犬をけしかける少女」という題名からすると、
玄笑地帯に出てきた、時をかける少女のセルフパロディのあたりを読んでいて、
「洒落として通じる範囲」というのでやらかしたのか。

やはり何も考えて無いような気がしますが。

作家を脚本家に変えて許された意味とか、考えているのかなぁ。
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しにょれ*
2012年01月28日 02:46

このところ立て続けに長い文のコメント投稿し、あきれられているかも知れないおっちょこちょいのしにょれ*がまたまた投稿してしまいました。

というのも、自分のコメントを読み返すうち、日本現代文学における比類なき大文豪にして個性的で敬愛すべき俳優であらせられる笑犬楼様をまえにして、これはやはり生意気な書き方ではなかろうかという気が段々徐々に次から次へとして来たのでございます。

笑犬楼様、これまでの数々の御無礼を平に平にご容赦下さりませぇっ!!

これからは心を入れ替え、「偽文士日碌」の内容に関連した内容を中心にできうる限り簡潔にコメントを差し上げ、またその他にも私が感じ取りましたところの様々な貴方様の類い稀なる作品群に関する拙い感想などをこれもまた出来うる限りワンポイントコメントでコメント致しますことをここにお約束致し、何卒そのことをお許し頂きたいのでございます。

お気付きのように、私目のこの文体は笑犬楼様の「真似しい」でございます。というよりもこれが取れないのでございます。このことも、平にご容赦くださり、寛容なるお心をもって何卒何卒お許し頂きたいのであります。

「偽文士日碌」と正確に記さねばならないところを「文士碌」や「偽文士碌」と偽りの表記を何度もし、真にまことにご無礼仕りました。

では今後とも何卒よろしくお願いいたします。

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しにょれ*
2012年01月24日 23:28

>ヒッチコックさん
>田中慎弥氏の芥川賞授賞式後の会見記事
(について知らないコメント読者の方、手っ取り早くウィキぺディア「田中慎弥」の「人物」ご参照)

日本国において、ビッグネームの受賞者がその記者会見でそんな発言をすればどのような事情があるにせよ直ちにマスコミの自動化されたヒステリックバッシングの餌食となるのは火を見るよりも明らか。よって、受賞した田中慎弥がなんの計算もなくそのような発言をしているわけがない。わざと暴言を吐き話題を提供してやろう、この際注目を集中させて目立ってやろうという、それで受賞が取り消しになることはない‐‐‐少なくとも情念にとらわれたそういう意図は確実にあったと思われます。

言葉狩り‐‐「言い換え」「自主規制」にの問題に関しては、一旦落ちついているかのように思ってしまうがそうではなく、自前で思考することを嫌い、ステロタイプ型を「善」とする‐‐日本人の特質といっても良いところの「臭いものに蓋」式の習性が今後においても存続すると考えられ、それゆえ真に問題のある暴言なのか逆に問題提起をして思索を促す「社会にとって有用なもの」なのかを判断してゆこうというような上等な精神は‐‐‐このまま行けば‐‐‐未来永劫育まれることはない。「個性」などとは永久に縁のない国なのだここは。

私は1993年の氏の作家生命を賭けた「戦い」により、少しはマスコミや市井の人々に対する問題提起の効力はあったと思いたい。つまり一時的にではあったにしてもまじめに考え抜いた人々が少なからず存在した。
少し前にようやく朝日新聞とめでたく(実際はあまりめでたくもないが)覚書を交わされ※、作家として
ダメージを徐々に回復されつつある氏にとって、ヒッチコックさんのこのややズレた意見(ごめんね)は苦痛を感じられるかも知れないと・・・。
もちろん、言わんとするところの純粋なお気持ちは理解できます。

※「偽文士碌」2009年3月一日の項ご参照

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ヒチコック
2012年01月21日 08:27

 筒井さんの『日々不穏』ご執筆の頃からの言葉を取り巻く状況や断筆宣言とも関連すると思われることなので、書かせていただきます。
 各媒体の、田中慎弥氏の芥川賞授賞式後の会見記事についてです。記事の見出しでは、芥川賞を「もらっといてやる」「もらって当然」と言う回答を取り上げています。質問に対してなぜ、どうしてこの答えが返ってきたのだろうかと取材対象者である田中氏の身になって勘案せずに、「もらっといてやる」「もらって当然」という言葉の(表面上の)意味のみからそのまま自動的に判断しているため、恣意的に見出しに採用しているわけです。そのため「(もらって)当然とはどういう意味か」という不毛な質問が会見で出ています。田中氏が新人賞のあと、筒井さんも受賞または選考委員をされておられた二つのすごい賞を受賞しつつ、芥川賞候補に4回なっていること、(特に川端・三島両賞を受賞し文学的評価のバックボーンができた後の)芥川賞選考委員の落選評価を前提に、表面上のニュアンスとは異なった形で、今回「もらっといてやる」「もらって当然」と言っているのは明白です。取材対象者と読者をつなぐ言葉のプロの感性とは思えず、田中氏にも失礼です。
 
 筒井さんの断筆宣言にも関わる「差別語」の読み手側の方の問題も、一つの言葉に一つの意味を機械的に(結果的に先入観を持って)当てはめてしまい、作品の中でどのような背景・美的感覚のもとで(差別意識を持って恣意的に使っているのかそうでないかも含めて)この言葉が使われているのかということを、読者が書き手何を考えているか考えず、意味を決めつけていることが一因だと思います。
 長くなり失礼しました。

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しにょれ*
2012年01月17日 18:02

新ドラマ『家族八景』誕生おめでとうございます。

過去にTV放送されたという

□ TBS系列の東芝日曜劇場『芝生は緑』(1979;主演:多岐川裕美)
□ フジテレビ系列の木曜ドラマストリート枠『家族八景 18歳の家政婦は見た!! すべての秘密は今暴かれる?』( 1986;主演:堀 ちえみ)

の二つは、最近ネットで知ったばかりの情報です。両方ともに放送されるのを知っていれば必ず見ていたに違いなく、知らなかったことが悔やまれる気がする一方で原作の良さを台無しにしてしまうようなドラマであった可能性が大いにあるので、まあ何とも言えず、再現版のDVDなどがリリースされたら機会があれば観てみたい程度に思っています。

今回スタートする『家族八景』では、その番組公式サイトに‐‐‐文学界の奇才・筒井康隆の傑作小説『家族八景』を映像界の奇才・堤幸彦がドラマ化することになった‐‐‐とあり、両者を同じく「奇才」と表しているのには不満ですが、堤さんは同じく深夜連ドラ「トリック」において、山田・上田コンビのあの何とも可笑しげなコンビの世界を作り出した張本人、どんなドラマになるのかという期待は大いにあります。

「七瀬」のネーミングは非常な美的センスを伴っていて、現代のティーンエイジャーが飛びつくのも無理はないと推されます。そのタイトルもまた日本語として非常に美観を掻き立てられるところの『七瀬ふたたび』が、比較的最近になって数種類の若者向けドラマバージョンがあることがそれを証明しているし、他にも証拠はあります。ついでに言うと筒井康隆の言葉のセンスは現代の日本語として‐‐‐簡潔かつ洗練された‐‐‐という印象を伴う場合が多くあり、ごく最近になって各メディアにおいてそれらが端末的に流用されてきていて、「おやっ?」と思わされることが度々あります。

TVを始めとする映像メディアはもう少し早い目に筒井作品の魅力に気付くべきだった。言葉を変えて言うと諸々の対抗勢力を上手にかわして、その魅力を広く世に知らせるべきであった‐‐‐と思っています。

P.S.
もし『家族八景』が直木賞にノミネートされただけでなく、受賞していたらと考えることがあります。しかし、当時の時代性で言えば、拒否反応が強すぎてバッシングの憂き目にあっていたかも知れませんね。審査員は案外そこを見ていたのかもしれない。とも思います。

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しにょれ*
2012年01月11日 19:46

3回目のコメントです。今回は論文調でいきます。

筒井康隆の文章は非常に美しいバランス感覚をもっている。「文士碌」でファンサービスのように書かれたちょっとした文章にもそれは現れている。ご本人が冒頭で独白された「実際に軽薄であったのであるが」という言葉は、そのころの作品を愛読した読み手にとってはどうでもよい謙遜であり、私などは作品の内容そのものよりも文体や筋の運び方、ひいては全体の構成力のようなことに「美」を発見し、内容がドタバタで軽薄であろうと差別的であろうと感動してしまったのである(当然内容が面白くないということではない‐‐面白さについて言うと電車の中で読んで死にかけたことがある)。

筒井康隆の文章が美しいと表現したのは多分私が初めてだろうと思う。しかし、それは美しく装飾された文体のことを指しているのでなく、言わば言語としての理想的な構築性のようなものであるので、その美しさになかなか気付かないだけなのだと思う。そしてこの美しさとは読者への深い敬意のようなものを含んでいるもの。だから私は筒井康隆の小説が好きでたまらなかった。

今更余計なことかも知れないが、筒井氏が小説内において示したブラックユーモアのエッセンスをそのまま実社会のレヴェルで受け取るのは間違っている。ここにコメントする人の中にそんな人はいないだろうが、人間の精神が差別的優位性や、被差別的劣等意識、あるいは極端な理不尽さに対する恐怖でできている事を自覚すれば、煎じ詰めれば濃いブラックになることが理解できるものを、全てを奇麗事で覆い隠したがる性分の人は沢山いて、そういう人たちが筒井康隆を憎むのである。
私は、筒井康隆の書く文章を読んで氏が実際に「差別的な嫌味な人物」であるとは絶対に感じないのである。

ここでコメントを終えるのは尻切れトンボですが、色んなことをまた書きたくなったときに書くことにします。

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けおら
2011年12月29日 08:55

三字熟語が不吉なものばかり、というのは今一つ納得できないので、自分でも考えてみました。

腹上死/安楽死/突然死
有頂天/怒髪天/弁財天
不退転/不戦勝/不勉強
有識者/有力者/無抵抗

そこそこ目出度い言葉もあるのではないか、と思うのですが、如何でしょうか?

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斉藤 守彦
2011年12月17日 03:44

映画ジャーナリストの斉藤守彦と申します。
来年の話ですが、2月11日より1週間、キネカ大森という映画館で夢の2本立て番組が実現します!
小松左京原作「日本沈没」(1973年バージョン)と、筒井先生原作「日本以外全部沈没」。この2本を一挙にご覧いただけます!
意外にこの2本立ては、都内名画座では上映されていないようです。
そして、初日の2/11は、上映終了後、私と自称丹波哲郎氏(正体は、河崎実監督)によるティーチインがあります。何をティーチするのか分かりませんが(笑)。

皆さん奮ってご鑑賞ご参加いただければ幸いです。

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道草
2011年12月15日 22:32

 「家族八景」がテレビになるのですね。さっそくDVDレコーダーのキーワードに「家族八景」と登録して、準備万端整えました。

 先日、取引先の役員さんを訪問した時のこと。当方からの提案の最中、とても気むずかしい顔をしていた彼が、「筒井康隆さんの『家族八景』に出てくる、人の心が色や図形で表現されるような、ああいう感じで....」と例えを申し挙げたら破顔一笑。「『家族八景』とは懐かしいね。七瀬が鍵をかけるんだよね、意識のガラクタを封じるのに。」と。そこから一気に商談が弾みました。

 50歳代後半の方でいらっしゃるのですが、「青春時代に筒井先生の著作に夢中になった方に違いない」と思うと、その気むずかしい役員さんが長年の知人のように思えるのがとても嬉しく感じました。

 年末の御挨拶に伺ったら、テレビのことをお伝えしようと思います。

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weedo
2011年12月05日 01:47

笑犬樓様へ。穴が開くほど日記を読ませていただいております。
僕は、平凡な意見しか書けないのですが、ビアンカ・オーバースタディが本になるのを楽しみにしています。
星海社という出版社は書籍全体にとってのターニングポイントになるとおもいますので、なお楽しみです。
これからも、お仕事頑張ってください。またかとおれはおもった。

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三原和秋
2011年12月02日 05:36

昨日の晩,luminarieを見学しに神戸へ行きました.とても派手でしたが一度見たら満足なのでもう見に行きません.帰りに,にしむらcoffeeを飲みに行きたかったが買い物に忙しくて飲みに行く余裕がありませんでした.

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ミミドラ
2011年12月01日 17:10

先生の名作「旅のラゴス」をオーディオブック化させていただきました、トレード・ブック・カンパニーの佐藤です。
先生のご許諾をいただいてから、ずいぶん経ってしまいましたが、ようやく弊社運営サイト「ミミドラ」にて11月30日に発売することができました。
「傑作」との呼び声も高い本作を、オーディオブック化させていただき、本当にありがとうございました。

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武蔵
2011年11月06日 06:06

思い出した、断筆宣言をだしてから、段読したのだ。

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武蔵
2011年11月06日 05:50

なし、・。書きたいけど書けない、巨匠に、でも投稿したかった。接点がなか
ったから。像の皮膚に触れているような、でも良かった。洞ヶ峠に武ログを見つけた気分。乾季歓喜の水、もう40年以上読んでる、途中難しくなって、笑えなくなって休息あり。つついていけなくなってしまた。アホダカラ教に染まって。
毎日、日記書いてる、雨もあり、ヤモリもあり、ヒンバ⑨もあり。
9月25日は、生命を受け継いだ十月十日前の後の受精日。宇宙から地球に落ちてきた有機物の何百億年のこの途絶えさせたくないこの遺伝子は、僕に何故空虚さを思わせるのだろう。弱肉給食を殺す愛と射精と宗教。こんなのいいのかな
・・・・・・・・・ま。、いいか

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ひえもん
2011年10月25日 20:49

はじめまして、
枕詞辞典について少々。
山梨在住の友人から聞いた話です。

甲斐の枕詞「なまよみの」の表記が未詳になっておりますが「半黄泉」では。
昔大和から来た歌人が、あまりにもみすぼらしいしなびた小さな田畑と暮らす人々を見て言ったとか。半ば黄泉の国のようだ、と。

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pon
2011年09月29日 16:19

筒井先生のご活躍を蔭ながら応援させていただいているもので、初めて投稿させていただきます。
実は、断筆宣言の直後の頃、T新聞(C新聞社)の主催で、今は無きカザルスホールで行われた先生のご講演を手配させていただいたことがあります。垂水のお宅にも二度ほどお邪魔させていただきました。ちょうど「パプリカ」の映画化の話が決まった時で(その時は流れてしまったようですが)、「君も出演してみないか」と言っていただいたときは有頂天になりました。現在はT新聞の営業部署に勤務しております。
さて、「偽文士日碌」の8月25日の項を読んでおりましたら驚くことがございました。その日先生宅にお邪魔した中央公論新社の関君は私の高校、大学の同級生であります。同窓会で年に1、2回会うくらいですが、同じ紙メディアの仕事ということで気の会う人物です。同席したパイプ協会の青羽さん(読売新聞)も旧知の仲で、新聞協会などで一緒に仕事をしたことがあります。
筒井先生の御縁による偶然を知り、思わず投稿をしてしまった次第です。
喜寿おめでとうございます。今後のますますのご活躍をお祈りいたします。
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たつみ
2011年09月19日 17:16

一人の読者です。
『聖痕』御執筆なさつてゐらつしやる事と存じ今から楽しみにいたしてをります。

筒井先生は「漢字部屋」といふインターネットサイトをご覧になりましたでせうか。
あそこには古字、異体字、則天文字やら何やらが色々とあつて、見てゐるだけでも面白うございます。モンゴルの漢字や、陸海の自衛隊で使はれたといふ「トラック」や「カッターナイフ」などの漢字があるとか(それぞれ、「車ト」「舟カ」で一字)。
まあ真偽たしかでない事はさうなのですが、お気に入つた字お調べになつてみるのも如何でせうか。

あと、これはわたしは持つてゐないし本場中国の方でも絶版になつてゐるらしいのですが、世界最大の漢字字書といはれる『中華字海』もご興味にかなふかと。

以上突然ながらコメントさしあげた次第でございます。大した根拠もなく、衝動に駆られて。
差し出た真似おゆるしください。お寒さの折なにとぞ御自愛あそばしますやう。
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けおら
2011年09月15日 20:50

「夢十一夜」拝見しました。北朝鮮行きパン菓子の夢、井上ひさしさんとひな壇の裏の夢(夢ネタの特性で、ネタばれにはなって無い、ですよね?)が特に良かったです。抽象言語が実体化するあたりが夢の凄みでありますな。
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道草
2011年09月14日 23:08

業務の忙しさにかまけて、数ヶ月ぶりに拝読しました。

素晴らしい芸術はお酒と同じで、忘れた頃にチビチビとこっそり味わうのも、また美味しいですね。先生のファンの皆様は、本当に文章がお上手で、この「読者からのコメント」を拝読するのも楽しみになって参りました。

先週末、CS放送から録画しておいた「復活の日」(映画)を鑑賞しました。小松先生や日本SF界を支えていらした先生達の先見性、科学知識、創造力が如何に素晴らしいものであるかを改めて痛感いたしました。小松先生のご冥福をお祈りいたします。

合掌
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しんらすえお
2011年09月05日 12:22

枕詞逆引辞典をコピーさせてもらいました。大感激です。五十歳も半ばになってからある短歌結社に入会して17年経ました。序詞や枕詞を使った短歌ができた時などはとてもうれしく思っています。この辞典を活用させていただけることを感謝しています。また、この辞典が出版される日が一日でも早くなるように祈っています。1960年代はSFマガジンの購読者でした。馬の首風雲録などに衝撃を受けたことを思い出します。どうもありがとうございました。
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体験弾
2011年09月05日 02:28

先生と呼ぶには直接お会いしたわけでもなく、小説の世界に生きているかと言われればそうでもないために、不自然な感じもするので、筒井さんと呼ばせていただきますことご了承ください。、初めての投稿させてもらいます。

僕にとって、筒井さんの「笑うな」と「最後の喫煙者」は僕の中でとても思い出深い作品です。タイムマシーンの話はぼくにとって、生きているという時間軸が過去も未来も自在に行き来できるという機械が発明された時のこと、を考えさせてくれたように思います。
最後の喫煙者の方は何かにすがっている人が最後の最後まで我を通すまでの意地とでもいうような葛藤のように僕には感じ取れたんです。私の個人的な感想にしかすぎませんが。。。

そこで、私個人の疑似体験なのか、人の考えや発言を請け負ったがゆえに生じた妄想なのか、そんな、話でもお聞きになってくださらないかと、いうか暇なので投稿させていただきました。

私が大学生時代の話になりますが、ろくに授業にも出ず、うまい具合に単位を取り、
暇を見つけてはレコードを買いに行ってるようなちょっと人とは違うことにかっこよさを見い出しては粋がり、部屋では得意げに買ったレコードを爆音でかけては隣近所の迷惑なども考えない、というような何不自由ない単なる学生生活を楽しんでいたのでした。そんなことをしていたら、もちろん進路に悩むのも当然(今になって思うことではありますが)
なのではありますが、男たるもの崖っぷちに立った時こそ意地が出るのではないかとも思ってしまうたちなわけで、それは、大学三年の後半にさかのぼります。

この時期はもちろん就職活動が盛んな時期です。
何かでかいことをしたいと社会のことなどロクに知らない(今も知っているかといえばそんなことはないのですが)無知な故の過信にまみれた自分は、恐いものなしです。
やめろと言われることほどやったろう精神が高ぶる様な、むしろ、恐れさえ楽しみにしてしまうような感覚になっていたんです。

そんな長い前ふりはさておき、その時期に、宗教のような巨大な組織のようなものに勧誘されたのです。その時私が思ったのはでかいバックさえ付ければ…
なんて考えもなかったわけでもなく、その人に近づいてみることも一種のスリルを楽しむかのような感覚で近づいて行ったのです。
もちろん、相手にとっても急に接近してきた自分が不審に思えたのも当然でしょうが、そんなこともお構いなしに近づくことを選択したんです。
と、ある時には
「父親のそばにいたいか?」
「お金じゃなくては女性とは付き合えない」だとか
「ドラッグはどんどんやりなさいヨーロッパに行けお金もかかりませんからね」
などと、当時の僕としてはどこか引っかかることばかり言ってきたもので、心が揺れたのは正直な気持ちではありました。
あ、「貴方の友達は悪い人です。ごみ箱に捨てなさい。」
「タバコはやめなさい」
というようなことも言われ、就職活動で困難中の自分は何か悪い暗示をかけられたかのように悩んだんでした。
さてここで、解釈こそ正しいのかどうかは全くわからないのですが、「最後の喫煙者」を読んでいたのが生きていたのだと思います。

何で、お前ごと気に俺のたばこをやめさせられなくちゃいけねぇんダ??と。

卑屈になるのはそこではないような気もするのですが、、(笑)
おれはその組織のシンボルの上でキングコングばりにタバコを愛したのです。
と言うと聞こえはとてもいいけれど、実際のところすごく悩みました。今まで育ててくれた家族、接してきた友人、現実を直視できない漠然とした自由というものへの憧れ。
そんな話をここでこれまでの話の22年という短い人生を語るには青臭いので割愛させてはいただきますが、タイムマシーンという機械が発明され過去も未来も自由に行き来できるようになったら、いま、その組織に属していない僕が踏みとどまった「思い出」なんかがもっと軽く感じられてしまうようで、実際、笑えないものになってるんでしょうね。。。
ま、今になってみれば、当時起きた、大人のあおりと受け止められる余裕もなんとなく出たんですけど(笑)

「現代語裏辞典」のユートピアの訳は僕の中でとても素敵な訳でした!!それだけは一個人の感想としてとても伝えたいものでした。
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