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読者からのコメント

※現在はコメントの受付をしておりません。

2012年5月16日~2012年8月24日のコメント

しにょれ*
2012年08月24日 17:57

ちょっと投稿をさぼっておりました。
まえのメッセージでは「やや」攻撃的になり、失礼致しました。

「聖痕」

《啓蒙性》
段々と古語的に漢字の難しいのが頻出して参りました。

古語的表現にはひとつの単語に多くの意味が含まっているので文がすっきりとし、
他の古語的でない描写・説明に無理なく移行し、目をやることが出来ています。
枕言葉の妙もなんとなく解り始めております。
啓蒙されて賢くなっていきます。

腐った縮緬雑魚(ちりめんじゃこ)のような男子生徒、ははは。何匹もおりました。

《多面性》
精神医学者、心理学者が文学性に目覚めて書いた小説のようでもあり、今のところ、
日本的私小説の純文学のパロディーの様でもあり、神話めいてもいるのです。
穿っていけばもっと。色々。

《典型・パースペクティヴ》
登場人物の「典型像」に拍車が掛かっているようで面白いです。
視座が入り乱れ、物語がいつのまにか濃縮されてゆく。のです。

《期待》
登希夫が三蔵法師に従う孫悟空のような存在となって行きますようにと願うのと
は裏腹に、あ~あ、どんどん悪い方向へ展開するのだろうなあ。悲しいことであ
るなあ。「狂喜の色」だもんなあ・・・。あああ、こりゃ駄目だ。だけど、登希夫は
まだ五才だ。

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三原和秋 
2012年08月23日 17:57

今日は、先週は休みだったビーバップハイヒールがあります。現在先生のお姿を拝見できる唯一の番組なので今から楽しみです。

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けおら
2012年07月28日 12:36

御大直々のご返答を頂きましたのに、
反応が遅れまして恐縮至極でございます。

細部まで読んでいるとおほめ頂きましたが、
個人的事情で、ここまでは落ち着いて切り抜きもできぬ状況で、
それで今日まで反応も遅れた次第です。

「読者のレベルに合わせず」云々もどこで読んだか、
もはや思い出せません。

ルビに関しては、やはり不特定多数の読者への対応という点で、
実はやむをえないところもあるのかなぁ、とも思っています。

たとえば前回指摘した第10回だと、
「魘される」という字にルビが無かった場合、
私はとっさに読め無かったかもしれません。
昔は読めた漢字も、忘れて出てこない事が多いです。

前回、かなりきつく突っ込みながら、
気になっていた事なのでここで白状しておく次第。

とはいえ、本日第16回ぐらいのルビの付き方だと、
だいぶすっきり黙読できる感じですが、
やはりいろいろ考慮して頂けたのでしょうか?
ありがたい事です。

それにしても御大とルビの因縁というと、オールドファンには
トーチカの一件を想起される方も多いでしょう。

加えて、朝日新聞と御大の間には、
断筆と、それを乗り越えた覚書の経緯がございます。

朝日の御担当者様。
おそらく大上さんは偉くなってしまって別の人かと思いますが、
なんとか御大の意志に沿った対応を、改めてお願い申し上げます。

さて、ここ数週間は、それこそ
「聖痕」を早朝チラ読むのが唯一の楽しみでありました。
ここに来て余裕ができましたので、腰を据えて切り抜きしながら、
先の展開を楽しみにしたいと思います。

御大には暑いさなか、なにより御身大切に。
ではまた。

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しにょれ*
2012年07月27日 10:34

「ルビ振り」に関して

日碌で説明して下さったので、「仕掛け」ではなく、勘繰りに過ぎたことが解ってよかったな。なるほど、新聞連載小説とはそういうものでありましたか。あー、びっくりした。

しかしですね、単なる情報記事ならともかく、文学芸術作品の表現にまで新聞(社)の法則を適用することもなかろうと、思うのですがね。それでまた、その法則とやらがナンセンスに近いこと千万で笑っちゃうじゃあ、ござんせんか。もっと普通にすればいいものを・・・ まあまあ、いつまでも御堅いこってすわ。

それにしても、そういうことなら、本来なら新聞の小説欄の隅にでもちょっとした説明(新聞側からの)があって然りだと思いました。
僕は単なる「生まれて初めて新聞小説を読む」読者だからこの際この場をお借りして新聞社に言わせてもらうけど、そういう風に不自然なことやっときながら何も説明がないのは昔から「スターカップ」と言われる所以ですね。

これ書いてるうちに、作者自らが説明しなくてはならなくなるなんて、段々腹が立ってきましたよ。彼のたぐい稀なる大文豪笑犬楼様にして、このありさまとはなんとお労しや。ああ、情けない!

朝日新聞さん、文学芸術には余計なことを適用しないのが最も相応しいあり方ですよ、これ基本中の基本です。「頭を垂れる」を「あたまを垂れる」と読む人は教養が足りていないだけの話で、意味は通るのだから、あとは当人側の問題ですよ。ほんとに。それから、これじゃまるで載せてやっているって態度じゃないですか。なんで作者自らがそーゆーこと一々読者に説明しなきゃならんのですか。芸術や文化・文芸を馬鹿にしてるんですか?どうなんですか。こういう風に多くの人からの誤解を招く場合があることくらい解っておられるでしょうに。

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しにょれ*
2012年07月25日 19:51

「聖痕」‐‐ルビ振りに関して

作者は「現在のところ作者がルビを振ったことは一度もない」と仰っていますが、その意味は言外にあり、もしかするとルビに関する指示だけは与えておられるのかも知れないと思うようになってきました。

けおらさんの疑問と作者=笑犬楼様の応答により、ルビ振りの不自然さには後半へと続く「何か」があるような気がしてくるのでありました。

そうかぁ、後半になればなるほど・・・なのだから初期段階では・・・!
あり得るぞ、このランダムなの目の付け方・選び方は!?

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しにょれ*
2012年07月24日 08:10

けおらさんの仰るようにルビ振りの曖昧さにちょっとした違和感を覚えます(デジタル小説記事:100円の大根さんありがとう)。

開始早々吃驚仰天で、5日朝刊〈作者の言葉〉では「通常の現代小説である。但し・・・」と続き、様々な「仕掛け」が施されているのでは_と思いつつこれまでの最初の最初部を読み進みましたが、ルビに関しては現在のところ作者ご自身によるルビ振りはないということで、それならやさしい漢字にはルビ無しの方がよかったのではないかと思います。

後半になり 「古い表現を復活させて、表現の啓蒙を意図する ・ 読者側のレベルに合わせず、高度な難解表現を使う」 と作者が仰っていた ‐‐レベルに合わせず・・・というのは知らなかったか忘れていたかどちらかですが、それを思うと五年掛かり長編の終始テンション上がりっぱなしとならざるを得ず_です。途中からギブアップしたりして・・・ ひゃははは、それはないでしょう。いや、わからんぞこれは。

漢字を開いたり開かなかったりという表記についても、あれっと思ってしまう訳ですが、作者の仰るごとく「漢字が多いので同じ漢字の表記を周囲(の視覚的な印象)にあわせて使い分け」がなされているのであり、その効果は多分これから納得できるものとなっていくのではないでしょうか。

いずれにしても、細部にまで注意を払っておられるなあ_というけおらさんへの感想、でした。

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ayanarinayana
2012年07月23日 22:01

ガルシア・マルケス命に別状ないけど痴呆症だそうで。康隆さんも丹羽さんみたいに筒井康隆筒井康隆筒井康隆筒井康隆などとまちがっても原稿用紙に書き連ねぬよう願います。

http://japanese.ruvr.ru/2012_07_11/81032261/
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笑犬楼
2012年7月23日 10:32

[けおら] さんへの回答です。

 今回、八月に入ると古語が多出します。それらのルビは作者が振り
ますが、それ以外は編集部に任せています。現在のところはまだ作者
がルビを振ったことは一度もありません。また漢字が多いので、同じ
漢字を開いたり開かなかったりと、周囲にあわせて使い分けています。
 熱心な御愛読に感謝。

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しにょれ*
2012年07月23日 07:11

それにしても、なんという心情の分析と描写力!!

煮えたぎる興奮と冷ややかなまでのパースペクティブが渾然一体。
「凄み」「不可思議」「洞察」「必然」「高密度のリアリティー」などなど。
忽然と降って湧いたような災難に反応する周辺の人々。

執拗とも言えるこれこそが支持者・ファンにとって最大の魅力なのかも
知れないと思えてくるからこれまた大変なのですよ。
他にも信じられないくらい沢山の独特なタイプが成されて来ましたからね。

空前絶後のはじまり_に読者はショックを受ける。
異種の短い段落が主体となる精神を啓示し、
また、状況を克明に明快に「説明」する。
次いで綿密かつ他に類を見ることのできない考察的分析的描写。

様式はそして・・・その先は!?

「聖痕」_ かくして始まったばかりというのに疾風怒濤の最中へと突入。

伸輔さんの絵は ‐‐‐ うううむっ 奇抜だ!!

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けおら
2012年07月22日 10:19

「聖痕」第10回まで読了。

今回学んだ表現 「痛手の口が開く」「狗尾草(えのころぐさ)」他

気になり始めた点 

①連載枠の字数との関連か、漢字を開いた表現が時々現れる事。
(今回なら「改めて」⇒「あらためて」)
意図的なものなのか?レイアウトの問題なのか?混乱します。
 
黙読においては、やや違和感があります。

②ルビの問題 
 古い表現を復活させて、表現の啓蒙を意図する、
また、読者側のレベルに合わせず、高度な難解表現を使う、
と以前おっしゃっていた事からすると、
現状のルビは過剰であり、朝日新聞の基準に寄ってしまっている様に思えます。

「夜驚」にルビが無く「入口」にルビがある、
等の選択基準にも違和感があります。

また、上記「夜驚」は、読みは判らずとも、文脈から意味を把握できます。

つまり、古い表現や難読漢字の使い方を、
小説の文脈から学ぶ事が出来ている事になります。

ルビは抑えめにしていただいた方が、当初の御大の意図に近づけると愚考致します。

上記は私個人の感想であり、また黙読を前提とした意見です。
(音読する場合にはルビがあった方が良い場合もあります)

本来は、朝日新聞に直接投げかけるべき内容ですが、
ブログの他の読者の皆さんの意見も聞いてみたいので、
こちらに上げてみた次第です

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風速13㎝
2012年07月21日 15:58

「ああ、読まなければ…」
経験した事のない緊張…不安と共に目を覚ます。
私のようなものにも一日のリズムというものがあったのだな
それが狂わされたことにより知る
目覚めとともに消えた夢のもしかするとその破片とともに
耳口…つまりはことばが伝えられる
王は私にいかなる傷痕を残すおつもりなのか…
雄として猛ることも
男として満ことも
知る事なく
ただ美しき夫として母の王佐を知り
この先どれほどの悲劇と喜劇が…

「ああ、きっと読むのだろうな…」
目をとじる。

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住吉台
2012年07月18日 17:44

筒井先生とビートたけしって似ていませんか、 普通大成功すると一般の男の嫉妬を買うがご両人ともごく一部の人を除いてそういう現象はないと思います。
筒井先生は気を悪くされるでしょうが、フライデー事件と断筆事件、世界的に評価されていること、 二人ともエッセイが率直で分かりやすいことetc

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埼玉の酔仙
2012年07月17日 19:43

ご丁寧なご回答をいただきありがとうございます。
そうですか、裏の事情はありませんか。
とりあえず一安心いたしました。
フクシマ以来、どうも情報には裏を読む癖がついて
しまいました。困ったものです。

ともあれ、毎日の展開を楽しみに朝刊を開いています。
今後ともお元気にご活躍くださいますよう願っており
ます。

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笑犬楼
2012年7月17日 11:42

[埼玉の酔仙] さんへの回答です。

裏の事情はありません。
 奥田英朗「沈黙の町で」は文芸的にきちんと完結しています。
「急遽」というのは、連載開始日のことで、連載することはもっと前に決まっていました。

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ayanarinayana
2012年07月16日 22:33

「聖痕」連載終了まで、元気でいてください。煙草も控えめに。途中で休載とかになったら悲惨。書けるうちにどんどん書きためておいてください。頼みます。村上龍のおもしろくない連載終わって万歳。

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けおら
2012年07月15日 10:42

聖痕第三回まで拝読しました。

話は早くも予告された事件に進み、
さてこの後、主人公はどんな内面を形成するようになるのか?

また、しょっぱなから厭ぁな状況を厭ぁな感じで描く展開に、
今の朝日読者がどんな反応を示すか?も楽しみです。

また、本来は連続して読ませる意図で圧縮されていたという文章が、
新聞連載の細切れに再編される効果がどうでるか?も
不安でもあり楽しみでもあり。
今のところはテンポの良さにつながってる様に思えます。

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しにょれ*
2012年07月14日 22:59

「大盗庶幾」を読み、納得しました。

一纏まりの段落ごとに古き時代の郷愁が滲み渡るその陶酔。

何人にも乱歩を遥かに凌駕すると思わしめる質感、透明感。

描写力、テンポの良さ、その内容にも拘わらずの典雅な品格。

レトロであり、まるで夢を見ているようでもあり、「シュール」はその意味で紛うこと無き実情でありました。

そして「終ってみれば筒井康隆」。

真に端倪すべからざる、大文豪;筒井康隆 !!


「聖痕」 ‐‐‐ なにやら胸騒ぎの感あり。
唯事ではすまさぬという・・・
生と死のドラマか、
そんな記憶が確かにあったような・・・。


それにつけても「クオリア」なんて便利な言葉があったのですね。
ご多忙であられても滞りなく進捗されんことを心より願っております。


追伸:「幾」を「機」と誤った表記をしてしまい、真にまことに失礼致しました。
庶幾の意味とは・・・ ああ !!   調べてみて下さいな皆さん。

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てんちゃん
2012年07月13日 19:27

本日、紙上にて「聖痕」第一回目を拝読致しました。
冒頭部分は難しい表現が多くて良く解りませんでしたが、
それに続く新生児の独白はかなり面白く、明日以降が楽しみです。

そもそも筒井作品を朝刊で拝読するとは何たる贅沢、何たる興奮、何たる
奇跡でありましょうか。先生の偉大なる気まぐれに感謝します。
お体御大切に、されど、長期掲載をお願い致します。

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埼玉の酔仙
2012年07月12日 22:28

明13日からはじまる「聖痕」の連載を楽しみにしています。

気になるのは、今日12日に連載を”完了”した、奥田英朗氏の
前作「沈黙の町で」ですが、終わり方がいかにも唐突で、何らかの
理由で中断したものとしか思えません。最近の大津の中学校での
いじめ自殺事件など、時代状況が小説に追いついてきたのですが
ひょっとして、警察、学校、遺族、保護者などからの圧力が
あって中断させられたのでは、と推測してしまいます。
それとも本人が書けなくなってしまったとか。

「急な話で」受けられた筒井氏は、何か裏の事情をご存じなの
ではないかと考えています。であれば、ぜひそこのところを
公表していただきたいものです。お待ちしております。

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100円の大根
2012年07月09日 17:19

 筒井先生がセイコンかけて書かれたセイコンが大好評になりセイコンされることを心よりセイコンさせていただきます。

 えー、こんなこと書くと営業妨害になるかもしれませんが、朝日新聞デジタルの無料会員に登録すれば連載小説もネットで無料で読めると思いますけど(妨害工作禁止)。
 新聞の連載小説を読むのは久しぶりですが、兎に角「狂」の字が何回出てくるのか楽しみにしております。
 対不起。
 謝々。

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しにょれ*
2012年07月01日 19:06

7月13日からの「聖痕」朝日新聞朝刊ご連載急遽決定、おめでとうございます。
13日の金曜日なんか気にされる必要、全くなし!です。

取りあえずは5日朝刊の「作者の言葉」、10日朝刊のインタビュー記事をチェックです。
だけど、文章を調節しなくてはならない作業は厄介で大変なのでしょうね。何とかならないものなのでしょうか。

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しにょれ*
2012年06月24日 05:36

「大盗庶機」を読むべく群像7月号取り寄せを行きつけの本屋に頼んであるのですが、なかなか来ない。
早く読みたい !! あなたは来ない。

「お助け」を見出した江戸川乱歩はどんな素顔の人だったのでしょうか。散読ながらも、重厚さを感じさせる文章形態や全体を覆う奥ゆかしくも猟奇怪奇の雰囲気・度肝を抜く大胆からくり等など、小説からは相当な魅力を感じずにはいられません。そういえば「怪人二十面相」シリーズはTVドラマは観ていても全く読んでないなあ・・・。
それでも 「二十面相の物語にしっくりと接ぎ木される作品が、ひとりで、ここにある」 ひいっ 読みたいっ となってしまうのは漠然とある乱歩の魅力が下敷きとなるからですよね。
江戸川乱歩+現在の筒井康隆。年齢差はあまりないと見るべきか。新旧入り混じり、はたまたレトロVSシュールか?一体どんなことになっているのか「しっくりと接ぎ木」がどういう状況なのか確かめたいようなわくわく気分です(けおらさんによると、没落貴族がサーカス団に入ってホモホモ7が出てくる、いいとこで終るリリカル短編小説だそうですが(至極失礼無悪気対謝々))。

え。さて。前のコメントからの続きで、書き出した責任上列挙いたしました曲目のCD情報を長くなるので3回に分けて記させて頂きます。独善的で申し訳ありません。演奏者グールドのCDは日本ではソニークラシカルが独占しています。海外版と国産版の両方を記します(アマゾンとソニーショップのサイトURLを記しますが、大丈夫でしょうか)。

ブラームス:間奏曲集
[ 海外版 ]
http://www.amazon.co.jp/Brahms-10-Intermezzi-Johannes/dp/B000UH8HQW/ref=pd_sim_m_1
[ソニーショップ]
ソニーショップでは販売終了しているそうで、下記のどちらかで検索して下されば色々と出ます。
Blu-spec CD は高品質を謳っていますが、かなり古い録音ソースなのでかえって不自然かも知れず紙ジャケットの方でも問題ないとは思います。同じ収録内容です。

■ブラームス:間奏曲集(Blu-spec CD)【完全生産限定盤】
■ブラームス:間奏曲集(紙ジャケット)【完全生産限定盤】

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三原和秋 
2012年06月21日 18:14

三島由紀夫のpen nameの名字は南方熊楠の昭和天皇への進講地神島(和歌山県 かしま)が由来です。三島の代表作,潮騒のmodelは神島 (三重県 かみしま)は読み方は違うが漢字が同じで彼の代表作の内で唯一事件性がない明るい長編作品である為,何度も映画化されています。この事は小松氏も筒井氏も既に御存知であり大いなる助走の主人公、市谷の専攻は民俗学であり南方熊楠は博物学者であり民俗学にも明るかったのです。南方熊楠は和歌山県立桐蔭高校出身であり母の出身校であり有吉佐和子も一時在学しておりました。どこにも投稿する所がないからここに投稿します。

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MICKEY
2012年06月20日 20:03

 そうか、言い回しに魅入られていたのだな。
だってそうだろう、他人の日記なんて読んでて面白いはずがないのだ。にもかかわらず読んでいる。なんとなく「読まされて」しまう。これはどうしてなのか。不足している栄養分を補足する目的で読み始めたのではあったが、他人の日記を読んでて面白いはずが無いという自分の中の大原則に反している違和感は、拭い去れずにいたのだ。自ゝ共に認める筒井ファンであればこそ、盲目的に面白いと決め付けて読んでいるのではないのか。他人の日記で喜ぶなんてよっぽどの覗き趣味ででも無い限り楽しめるはずがない。そういった葛藤を伴いながらしばらく考えていたところ、この日記をまるでショート・ショートの一作品のような感覚で読んでいる自分に気づいた。つまりこの日記の一人称を、書いている先生本人ではなく、登場人物のそれとしてよんでいることに気づいたのだ。
 ただ、あくまでこれは日記なのだ。それは十分に理解している。ではどうして、他人の日記を読むなどという行為を欲してしまうのか。冒頭にも言ったが、枯渇していると思っていたこの感覚を満たしたいという欲求が向けられていた先は、実はこの日記の文体そのものだったのだ。内容如何にかかわらず、先生の文章・文体を求めていたのだ。花も恥らう青春時代を、共にどっぷりすごした先生の幾多の作品に、この安物の体や脳はすっかり洗脳され、もはや中毒患者として今まで生かされていたのだ。
 今、枕元に数冊の文庫が置いてある。当然筒井作品。幾度と無く読んだ作品ばかりだが、自選集などとして発売されていたりするから、患者にとってはタチが悪い。結局新たに買いなおして、無意識に読んでいるのだ。もはや子守唄になっているのだ。これはもう末期的症状として認めざるを得ないはずの段階にまで到達してしまっていると思うので、ここはひとつ責任を取ってもらいたいなと、まあ冗談ですがね。たくさん書いてみたくなっただけです・・・。

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しにょれ*
2012年06月18日 01:20

レイ・ブラッドベリさんは91歳でお亡くなりになりましたか。日本でスペシャルドラマとして放映された「火星年代記」を非常に若い頃観ました。よくぞ長生きされたと感服しますが、笑犬楼様にあられましては、100歳を越えるまでのご長寿を全うして下さらなければ困るのでございます。何故ならば、小生の寿命が尽きるまでにもしもお亡くなりになられると面白いことが何もなくなるからでございます。あまり無茶をなさらぬよう、何卒よろしくお願いします。

褒められる事で創作意欲が高まると嗤っておられたということで、我が事のように嬉しいのでございますが、一ファンに過ぎない小生の如き存在ではありましても本来ならば過去のご作品一つ一つをとりあげて詳細に褒めまくりたいという衝動に駆られるほど、つまり文字(出来れば活字)にして褒めたいのでございます。上梓したいのでございます。しかしそれはやはり、今のところ叶わぬ夢でございます。

え。さて話は突如として変わりまして最も回数も長文も多いコメンテーターとなってしまい、厚かましさと常識のなさが増してきている事を自覚しつつも如何んともし難く、前回申しましたようにずっと以前から笑犬楼様に是非とも聴いて下さいと言わずにはいられない想いがありましたところの音楽のことを書かきます(ねばねばと回りくどい文章です)(自嘲+冷や汗)。

1)ヨハネス・ブラームス: 間奏曲集(小品10曲)
2)ヤン・シベリウス: 3つのソナチネと民話カレワラを題材とした小品「キュリッキ」
3)セルゲイ・プロコフィエフ: ピアノソナタ第7番「戦争ソナタ」

これらのピアノソロ曲をご存知でありましょうか。
上記概ね3種の作品群はグレン・グールドが遺した非常な名演があり、それを聴いて頂けたらなあと切望しているわけでございます。
ジャズを始め、色んなジャンルの音楽に見識がおありである笑犬楼様に大変ご無礼であるとは存じますが、なぜ聴いて頂きたいと思うのかの理由も含め手短にコメント致しますのでしばらくの間お付き合い下さい。

「1)ブラームス: 間奏曲集」は瞑想的とも言え、この世のものとは思えぬほど美しいから。
「2)シベリウス:小品集」は、古典的な作曲手法でありながらシュールな美しさに満ちているから。
「3)プロコフィエフ: 戦争ソナタ第7番」ピアノソナタ第6~8番は、第2次世界大戦最中に相次いで作曲されたことからいずれも「戦争ソナタ」の名で呼ばれるのですが、中でもこの第7番が傑作で明らかに最もよく戦争を戯画化しているから。
(プロコフィエフはモダニズムの作曲家として知られており、シベリウスは国民楽派で、ブラームスは後期ロマン派です。しかし音楽のような全くの抽象世界ではこうした区分や思想的流行り廃りなどたいして意味はないと思います)。
■ そして、グールドをおいてこれほど哲学的・文学的内容を抽出してくれる演奏家はいないと思う。
■ これらの演奏に対して笑犬楼様の感受性はどのような反応を示されるのだろう。

というのが、端的に主な理由です。もしかして既によく知っておられ、聴いておられるかも知れません。
またあるいは「これのどこがそんなにいいのかね?」なんて思われるとショックですが。
(CDの情報、作品情報、演奏家情報その他は次回以降に書きます。)

いつもながらの(以上の)長文、まことに失礼致しました。

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けおら
2012年06月11日 17:46

「大盗庶幾」拝読しました。6/7日碌のネタバレ読む前で良かったぁ。
没落貴族の話→御大の記憶の投影かな?
サーカスの話→ん?乱歩みたい?→おお題名はそういう意味か!
と、ぼんやり浮かび上がってくる仕掛けを素直に楽しめました。

若き日の御大を見出した、大乱歩への返礼の様な内容なので、
昨年の、「もう短編は書かない」とおっしゃっていた頃に読んだら、
「すわ遺言か」と心配したところです。

御大のリリカルな作品も大好きなので、わくわく読み進めましたら、
いいところで終わっちゃった。
もちろん「怪人二十面相につづく」なンですけど、
せっかくなんで、「筒井康隆版(ホモホモ美)少年探偵団」が読みたい!
とリクエストしておきます。

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ハロー
2012年06月07日 00:03

中学生の時から筒井先生のファンです。

私のようなファンの方は五万とおられるでしょうが、少しでも先生と接点をもちたく思い、登録させていただきます。

社会生活を何とか過ごしている会社員です。
家族、恋愛、人間関係全てに悩みを抱え、不器用な生き方をしてしまい、
私にはビジョンがないと、反省しており、昔を振り返っておりますと、日記や詩を書くことが好きで、先生のことを大好きだったことが、思い出されました。
先生の文章の一文一文を、生きるヒントとさせていただけたらという思いです。
何卒よろしくお願いします。

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しにょれ*
2012年06月06日 02:35

笑犬楼様、私めはこれまでのコメントで失礼なことやおかしなことや間違いに気付かず投稿し、随分恥ずかしい思いをすることとなる箇所を点々と残しております。もしかして日碌の「脱稿したが例によってしばらく寝かせておく」や「聖痕」を読まれた御子息が指摘されたという「そのまま発表したらいい笑いものになる間違い」のご記述には‐‐まとまったことを書くのならもうちょい真剣に間違いはないか確かめよ‐‐というありがたい訓示の思し召しが極々微量にでも混ざってございましたのでありましょうか。

自我意識の旺盛な私はこのように何でも自分のことに結びつけるのでございますが、このようにコメントすることそれ自体が後に恥ずかしい思いをする羽目となる愚行であるのは分かっているのでございまして、それはそうと今後(今回は別)はコメントをメモ帳に入力した後少なくとも24時間は投稿せず、投稿時にもう一度読み直すということをしようと思っております(全然変わらなかったりして)。

話変わりまして、次回コメントには笑犬楼様に是非とも聴いて頂きたいと常日頃から思っております「世紀の超絶品ピアノ演奏CD」のことを書きます。題して「現代人ならこれを聴け」なーんちゃって。あははは。

コメントの予告までしてしまうパラノイドのしにょれ*でございました。

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けおら
2012年06月01日 13:59

「メタノワール」拝読しました。先日のSFマガジン掲載論文でも言及された、
役者/作家 を初めとしてジャンルを越境する活動を続けてきた御大にしかできない、
まさに「特権的存在」を見せつけられるかの様な作品でした。
かつて芝居者の端くれだった身としては、ちょっとクヤシイ気すらします。
「やれるものならやってみろ」と言われてる気がして、、、、。

小説の側でこういう芸当のできる立場の人はまずいないでしょう。
タレントになってしまい、役者の意識で芸能界や芝居の世界に参加できないんじゃないでしょうか。

芝居の世界では、先日は野田秀樹さんを引き合いに出しましたが、
後、あり得るのは、松尾スズキさん位しか思いつかないです。

どちらにしても、芝居の側で同じことをした場合、小説の側でやるほどのインパクトが無い。
小説家であれ、ミュージシャンであれ、当人達を舞台に上げると、
芝居の枠組みを崩す事は出来ても虚構の緊張感は維持できず成立しない気がしますし、
プロの役者が実在の人物を演じたら普通の芝居になっちゃうし。

(野田さんは虚構寄りの人なんでやらなそうだから)
仮に松尾さんあたりが小説でやったとしても、
メタフィクションとしての意味合いの薄い、私小説寄りの作品になってしまいそう。

御大が過去に言及してきた「虚構内自意識」に最も肉薄してるのが、
他ならぬ、芝居とか芸能界に出てる時の御大自身なんだなぁ、
と改めて思った作品でした。

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楽喜
2012年05月31日 20:38

5月21日の金環食は確かにビッグイベントでしたが日碌での筒井さんのコメントを読み「あぁ筒井さんと同じや」と微笑して溜飲が下がる。こんな効果を作品エッセイ含めた筒井氏の書を読んだ時に今まで幾度も感じたものですが、「SFの人」だからといって金環食ツアーに出掛けたらそれは「筒井康隆」ではないと確かに思うワケです。

さてジョージ・ルーカスが引退宣言しましたが、音楽界ではキング・クリムゾンのロバート・フリップやデヴィッド・ボウィーなどワタシ世代の青春期にブイブイ言わせ、多感な時期の文化アイテムとして筒井さんとともに大いにお世話になった「巨匠」方々のここ二三年の引退宣言を知るにつけ、一抹の寂しさというより感謝と労いの感慨を持つものですが、何が終わり、何が始まるのであろうか。恐ろしいことである。

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しにょれ*
2012年05月25日 08:09

(後先逆になりましたが)(連投御免にて候)
「文学部唯野教授」‐‐‐‐ああぁっっ 懐かしいなぁ!!
主人公唯野教授の作中での講義内容(文学批評史)を、現実の実在する文学部教授がテキスト(=あんちょこ‐‐虎の巻)として大学内で講義するのが流行ったりして、そらもう大変な話題に上りましたなあ。それでまあこの、それらの教授などが行きつけの高級バーのホステスまでもが買って読んだり、門下生・受講生やらがむさぼり読んだりで瞬く間にベストセラーへとまっしぐらに突き進んだわけですな。

それほどまでに‐‐専門家が舌を巻くほどに唯野教授の作中の講義内容が簡潔で要を得て素晴らしかったという証明であって、あの時ほど誇らしく大手を振って愛読者であることを鼓舞し自慢げに作者の明晰さをアピール出来た時期はなかったのでございます。それなのに、ああっ、それなのにあのとき仏文学講師のNのアホめは非常勤その他の分際でありながら悪びれもせず「講義内容以外はカスだ。」と抜(ヌカ)した(言葉汚くて失礼)のでございます。何を言わっしゃるのかと思えば、そらまた何ちゅうことを言わっしゃるのか。そんなやつは友でもなければ、もはや知り合いでもなくそればかりか血の通った人間でもないふにゃらふにゃらの薄ぺったい三角野郎だ(以下の罵詈雑言省略)。

失礼いたしました。思い上がったアホの話はうっちゃっておき、ともかくあのご作品を機としあの頃を境として私は西洋哲学史から現代諸思想・科学またはフロイト以降精神医学に至る過程の逞しさ、凄まじさを知り得たのであります。まことにまことに有難いお導きでございました(いつ頃でありましたか、胃の具合を悪くされ入院されていた折にハイデガーを原著翻訳本で読破されたとか。ひょぇぇぇっ!! 頭の100回下がる思いです。いくら作家でも普通は絶対出来ません。)。

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しにょれ*
2012年05月24日 03:30

前回は、5~6年のタイムラグがあることも省みず長文の感想を述べて大変失礼致しました。
何しろ私にとりまして「壊れかた指南」は久々の短編集であったのでありまして興奮しちゃってもう、あははははは。あーはははは。よかったよかった。良かったね?私は良かった。

人の意識の流れというものは本来的に、別に辻褄をあわせることを目的として流れておる訳ではなくして、本来的に「壊れている」ようなものでありまして、どういうことかと言いますと私達が生まれた時からすでにある社会の秩序やら一般常識・習慣・伝統・その他もろもろの公式非公式のお約束事、暗黙のルールなどにいやらしく寄り添いながら生活をしているうちに手前の意識は常に何らかの論理に従って働いており、合目的的であり立派なもんで、狂ってなんかいるものかと思い込んでいるその、極ほんの末端的な表層の意識の形式様式から本来的な意識の流れを眺めると「壊れている」ようなものとしか見えなくなるだけなのでありまして、これはもういやはや。めちゃくちゃでごじゃりまするがな。

ということでございまして、ボケ老人をヒントにして書かれたというご解釈などはどの作品に関しても完全にもはやずれきったご意見(ゴメンネ)であります。

追記:「認知症」という命名は真性のアホの成せる業で、これは本当に「壊れた」日本語。だと私は思う。

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MICKEY
2012年05月23日 20:12

日記の最初が2008年!? 2008年にはこのサイトがあったってことなのだ。今が 2012年・・・。4年近くもここに気づかずに過ごしていたわけなのか、畜生。
ゴールデンウィークなどといった煌びやかな名前で呼ばれる、なんてことは無いただの「偶然の休日の連続」ごとき数日間を、さてどうやって無駄なく過ごそうかとか、どうやって過ごしたからそれは所謂充実していたお休みだったのだねとか、そんな瑣末なことを気にかけている実は4年も前から、このサイトは存在し、日記の項数は着実に増えていたのだ。それに気づかず過ごしたこのなんと恐ろしく勿体無くも無駄な4年間を、取り戻すためにワタシはこの日記をじっくり読み散らかすことに決め、当面の宿題としよう。さて、読むのだ。読まねばならないのだ。読んで読んで読みまくって、不足している栄養分を吸収しなければならないのだ。

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ayanarinayana
2012年05月21日 22:22

『時をかける少女』は座敷ぼっこの変型で『ダンシング・ヴァニティー』は『しゃっくり』の焼き直しだろうとずっと思ってたのですが、ヒントは近親者の認知症なのだと最近気がつきました。一回しか使えませんがいくらでも枚数稼げるすごい発明。

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けおら
2012年05月20日 17:01

SFマガジンの朝ガスと断筆に関する論文を読んで、当時を色々回想しました。投書を読み上げられて、舞い上がった事。電脳筒井線を読んで、PC等持てぬ貧乏学生の身に歯噛みした事。切り抜きしてたけど途中で挫折した事。時間の巻き戻しでのベタベタでお約束な櫟沢の演技に爆笑しながら、「本当はもっと繊細な事がやりたいんだろうな」と複雑な気持ちになった事etc、、。懐かしいです。

論文自体に関しては、「ネットの民主主義幻想」「作者と読者(社会や制度)との権力闘争」という内容に、なるほど、と。(権力闘争云々は、他の人の発言でもあったかもしれませんが失念)
思えば、「投書が実名なら作者も実名を」という俺の投書は、まさに「ネットの民主主義幻想(的なもの)」をナイーヴに信じた、幼い問いかけだったなぁ、とシミジミ思った次第。
舞台上の役者兼演出家兼作家、という存在に、客席に降りて来いと言ってたわけですから。
もっとも当時は、劇研に入っていたにも関わらず、野田秀樹さんをはじめとする、役者を兼ねる作演出家とのアナロジィで考える発想は出てこなかったのでした。

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sasakama
2012年05月16日 19:20

「SFマガジン」2012年6月号にて、ウィリアム・ガードナー氏の評論「筒井康隆とマルチメディア・パフォーマンス」が掲載されていて、驚きました。
「朝のガスパール」と「電脳筒井線」に関する評論でした。

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