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2014年12月27日~2015年10月3日のコメント
けおら
2015年10月03日 12:21
お久しぶりです。
「モナドの領域」拝読しました。
日碌で絶賛の声多数との事で身構えて読み始めました。
冒頭から、いつもと違う文体。
ハードというかソリッドな、ある意味無表情な文体に、
緊張は増し、畏怖というより恐怖を覚えはじめながら読み進み、
やがて、小説のテーマについて、
いつものようなエンターテイメント、では無く、
真正面から、真鍮の棒で読者の頭をぶん殴りに来るような、
御大の本気と全力を喰らい、
嗚呼これも、御大の遺言なのだ、と、
わずかな知識を総動員して、ついて行きました。
哲学、数学、科学全般、歴史、宗教そしてSF。
なんて膨大な範囲の教養の裏付けか。
つくづく思い知らされたのは、
御大は、牙を隠して、周囲を傷つけない様に、
エンタテイナーとして振る舞って来て、
ここ数年はボケた振りすらしていたけど、
ずっと闘い続けて、その本質は変わって無かったんだ、て事。
本作での二つのバトルステージ、
法廷(国家?)と、TV番組(社会?)
での遣り取りを読み進めて、胸が熱くなりました。
美をもって倫理に挑み、
日本語(虚構)をもって世界(現実)に挑んで、
闘い続けて来た男を、
俺は忘れない。
そして、
SFが好きで良かった。
筒井康隆が好きで良かった。
本作に関して、
登場する教養(特に用語の知識)の大部分を持っていないにもかかわらず、
(噛み砕いた解説があるにせよ)何が書いてあるのか、輪郭だけでも掴めたのは、
思春期のはじめに、SFに出会い、筒井康隆に出会って
、思考の方向性を規定され、
同じくSF好きの友人と、この小説に登場するような内容を馬鹿話として、
拙いレベルでも、何度も議論する思考訓練を積んできたからです。
思えば、幼少時、プロテスタントの教会に通わされ、
長じるにつれ教えを鵜呑みに出来なくなり、やがてSFと筒井康隆に出会い、
「言語は偶像であって、偶像礼拝の排除は不可能で、欺瞞だ」
という気づきに至って、ハッキリと教会と距離を置くことが出来たのですが、
今に到るも、自分の思考の根っこには、SFと筒井康隆があるのだろうと思います。
本作を読み終わって、感じた事。
本作はテーマとその結論においてノーベル賞ものだが、
万一本作をもって受賞するような事があれば、
日本人たる我々ファンは激怒すべきだ、という事。
(これ以前の諸作品に対してならば、有ってもよい話)
本作のテーマは、白人世界の制度への挑戦そのものなので。
個人的には
自分の無能さ、矮小さに甘んじて怠惰であってはいけない。
自分なりに、自身の美意識を満足させる、全力と本気を追わなくてはいけない。
という事。
御大の全力と本気、しかと受け取りました。
アンディ
2015年09月09日 17:39
『モナドの領域』一気に読了いたしました。
失礼ですが途中で「これは駄作かもしれない」と思いましたがとんでもなかった。
最後は感動で泣いてしまいました。
先生が日碌で「この作品を書くために小説家になったと思えてきた」といったことを書かれていましたが、
その意味がわかった気がしました。
『東海道戦争』も『笑うな』も『エディプスの恋人』も『時をかける少女』も『虚人たち』も『パプリカ』も『聖痕』も、
ある意味この作品に包括されるとも言える。
それにしてもなんという作品でしょう。
そして、特に初期の頃は反社会的で超過激な作風だった先生がこの作品ではあの言葉を、
それも肯定的に使われている。
筒井作品を時系列で思い返しそれらを眺めやったとき、
その変貌に感無量を感じいや実は反社会的で過激な作品にも常にこの裏付けはあったのだと得心したり。
そして、いやいやさらに実はこれはフェイクなのかもと思い直したり。
感想はまだあるのですがこれ以上はネタバレになるので止めておきます。
先生、今回も素晴らしい作品をありがとうございました。
住吉台
2015年07月03日 13:19
世界はゴ冗談拝読しました。
原発事故に関するお考えどきっとしました。オリンピックの代わりに福島への
徹底した投資を行えばよいと思います。こういうことはひそかに思って
いる人はかなりいるのだと思いますが、テレビに出ているコメンテーターが
テレビでいうと即刻降板でしょう。
籾山幸士
2015年06月30日 23:00
コメント採用どうもありがとうございました。
即刻でちょっと驚きました。
新作長編、期待&応援しております。
ところで、御存知かとは思いますが、お節介情報:
筒井さんが何十年もずっとお探しの田河水泡「ミスターチャンチャラ」(現代連續漫畫全集 第8巻)は、京都国際マンガミュージアムに所蔵されております。
http://mediaarts-db.jp/mg/books/1256051
貴重資料なので閲覧要予約だそうですが…きっと既にご覧になっていますね?
籾山幸士
2015年06月28日 20:55
ご報告ですご報告です。
『ダンシング・ヴァニティ』マネージャー役でお世話になりました、ソフトブリーズ事務所の籾山です。
到達点の新作長編『モナドの領域』、おそらくドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』に触発されたと存じます。
筒井作品の独創性と自己批判は、同時代性現象など超越していますから、余計な心配ご無用であります。
『秒読み』など、ジョン・レノンの名曲『イマジン』と並ぶ、ノーベル平和賞並みの超傑作です。
比喩的に数字で文学論を表現しますと…
筒井作品パラマウント時代の魅力は、普通100を目指すところ「111.11111…」どこまで行くねん、と突っ込みたくなるスラップスティックの妙味でした。
MGM時代の近作長編『聖痕』は、逆に「99.99999…」抑えた作風が魅力ですが、旧来のファンには物足りなく思われたのかもしれません。
今回『モナドの領域』は、きっと「100.00000…」この精度を上げる改訂作業中なのですね。
(お呼びでしたら参上しますが)陰ながら応援しております。
アンディ
2015年06月26日 23:14
『モナドの領域』、大変楽しみです。
首を長くしてお待ちしております。
それにしても「最終的なテーマ」とは一体…。
wanwanbanban
2015年05月16日 12:31
現在、子供が菓子をちびちび食べるように、筒井先生の新著「世界はゴ冗談」を少しずつ読み進めております。
八十歳を超えていながら、このように自由で過激な作品が書けることに感銘を受けていたのですが、五月九日付けの日碌に「新たな長篇にとりかかろうとしているのだが」とあるのを見て、筒井先生の旺盛な創作欲にすっかり打ちのめされ、どうしても気持ちを伝えたくなりコメント致します。
筒井先生の作品に接すると、いつも「精神的な自由」を突きつけられたような気持ちになります。筒井先生の作品は、歳を重ねるごとに若々しく瑞々しく力強くなるように感じられ、そのことが私を鼓舞します。私もまた自由でありたい、と思わせるのですが、それは筒井先生の作品が真に自由だからなのでしょう。
長篇の構想をお聞きして、石川淳先生が八十歳の頃に書かれた「狂風記」を思い出しました。あのような興奮が再び味わえるのかと今から楽しみです。
アンディ
2015年05月15日 23:42
『繁栄の昭和』と『世界はゴ冗談』を至福の気持ちで読んでいる最中、
日碌に「新たな長編にとりかかろうとしている」との一文。
頭の中で狂喜乱舞、熱く熱くお待ちしております。
それにしてもなんという創作力、創造エネルギー。
ただただ驚嘆するばかりですm(__)m
ayanarinayana
2015年01月02日 08:02
あけましておめでとうございます。 御大がSF界の最長老になられるなんて、信じられない気持ちです。若いときの写真しか見たことが無かったので、今のご老人の風体まさか、本当はもっと若いのにわざと老人風に老けさせているのではと疑っています。やなせたかしさんもあれほど生きるとは!いつまでもお元気で。金さん銀さん目指して100歳まで・・・・
や~と
2014年12月28日 21:21
前の書込みの訂正。
1) 「試聴」ではなく「視聴」でした。
2) いまソプラノ・リコーダー(当然C管)で吹いてみたら、やっぱりイ短調で吹いていたようです。
籾山幸士
2014年12月27日 15:46
宇宙には2種類の生物がいる。
筒井康隆を知っている生物と、知らない生物と。
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2014年12月27日~2015年10月3日のコメント
お久しぶりです。
「モナドの領域」拝読しました。
日碌で絶賛の声多数との事で身構えて読み始めました。
冒頭から、いつもと違う文体。
ハードというかソリッドな、ある意味無表情な文体に、
緊張は増し、畏怖というより恐怖を覚えはじめながら読み進み、
やがて、小説のテーマについて、
いつものようなエンターテイメント、では無く、
真正面から、真鍮の棒で読者の頭をぶん殴りに来るような、
御大の本気と全力を喰らい、
嗚呼これも、御大の遺言なのだ、と、
わずかな知識を総動員して、ついて行きました。
哲学、数学、科学全般、歴史、宗教そしてSF。
なんて膨大な範囲の教養の裏付けか。
つくづく思い知らされたのは、
御大は、牙を隠して、周囲を傷つけない様に、
エンタテイナーとして振る舞って来て、
ここ数年はボケた振りすらしていたけど、
ずっと闘い続けて、その本質は変わって無かったんだ、て事。
本作での二つのバトルステージ、
法廷(国家?)と、TV番組(社会?)
での遣り取りを読み進めて、胸が熱くなりました。
美をもって倫理に挑み、
日本語(虚構)をもって世界(現実)に挑んで、
闘い続けて来た男を、
俺は忘れない。
そして、
SFが好きで良かった。
筒井康隆が好きで良かった。
本作に関して、
登場する教養(特に用語の知識)の大部分を持っていないにもかかわらず、
(噛み砕いた解説があるにせよ)何が書いてあるのか、輪郭だけでも掴めたのは、
思春期のはじめに、SFに出会い、筒井康隆に出会って
、思考の方向性を規定され、
同じくSF好きの友人と、この小説に登場するような内容を馬鹿話として、
拙いレベルでも、何度も議論する思考訓練を積んできたからです。
思えば、幼少時、プロテスタントの教会に通わされ、
長じるにつれ教えを鵜呑みに出来なくなり、やがてSFと筒井康隆に出会い、
「言語は偶像であって、偶像礼拝の排除は不可能で、欺瞞だ」
という気づきに至って、ハッキリと教会と距離を置くことが出来たのですが、
今に到るも、自分の思考の根っこには、SFと筒井康隆があるのだろうと思います。
本作を読み終わって、感じた事。
本作はテーマとその結論においてノーベル賞ものだが、
万一本作をもって受賞するような事があれば、
日本人たる我々ファンは激怒すべきだ、という事。
(これ以前の諸作品に対してならば、有ってもよい話)
本作のテーマは、白人世界の制度への挑戦そのものなので。
個人的には
自分の無能さ、矮小さに甘んじて怠惰であってはいけない。
自分なりに、自身の美意識を満足させる、全力と本気を追わなくてはいけない。
という事。
御大の全力と本気、しかと受け取りました。
『モナドの領域』一気に読了いたしました。
失礼ですが途中で「これは駄作かもしれない」と思いましたがとんでもなかった。
最後は感動で泣いてしまいました。
先生が日碌で「この作品を書くために小説家になったと思えてきた」といったことを書かれていましたが、
その意味がわかった気がしました。
『東海道戦争』も『笑うな』も『エディプスの恋人』も『時をかける少女』も『虚人たち』も『パプリカ』も『聖痕』も、
ある意味この作品に包括されるとも言える。
それにしてもなんという作品でしょう。
そして、特に初期の頃は反社会的で超過激な作風だった先生がこの作品ではあの言葉を、
それも肯定的に使われている。
筒井作品を時系列で思い返しそれらを眺めやったとき、
その変貌に感無量を感じいや実は反社会的で過激な作品にも常にこの裏付けはあったのだと得心したり。
そして、いやいやさらに実はこれはフェイクなのかもと思い直したり。
感想はまだあるのですがこれ以上はネタバレになるので止めておきます。
先生、今回も素晴らしい作品をありがとうございました。
世界はゴ冗談拝読しました。
原発事故に関するお考えどきっとしました。オリンピックの代わりに福島への
徹底した投資を行えばよいと思います。こういうことはひそかに思って
いる人はかなりいるのだと思いますが、テレビに出ているコメンテーターが
テレビでいうと即刻降板でしょう。
コメント採用どうもありがとうございました。
即刻でちょっと驚きました。
新作長編、期待&応援しております。
ところで、御存知かとは思いますが、お節介情報:
筒井さんが何十年もずっとお探しの田河水泡「ミスターチャンチャラ」(現代連續漫畫全集 第8巻)は、京都国際マンガミュージアムに所蔵されております。
http://mediaarts-db.jp/mg/books/1256051
貴重資料なので閲覧要予約だそうですが…きっと既にご覧になっていますね?
ご報告ですご報告です。
『ダンシング・ヴァニティ』マネージャー役でお世話になりました、ソフトブリーズ事務所の籾山です。
到達点の新作長編『モナドの領域』、おそらくドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』に触発されたと存じます。
筒井作品の独創性と自己批判は、同時代性現象など超越していますから、余計な心配ご無用であります。
『秒読み』など、ジョン・レノンの名曲『イマジン』と並ぶ、ノーベル平和賞並みの超傑作です。
比喩的に数字で文学論を表現しますと…
筒井作品パラマウント時代の魅力は、普通100を目指すところ「111.11111…」どこまで行くねん、と突っ込みたくなるスラップスティックの妙味でした。
MGM時代の近作長編『聖痕』は、逆に「99.99999…」抑えた作風が魅力ですが、旧来のファンには物足りなく思われたのかもしれません。
今回『モナドの領域』は、きっと「100.00000…」この精度を上げる改訂作業中なのですね。
(お呼びでしたら参上しますが)陰ながら応援しております。
『モナドの領域』、大変楽しみです。
首を長くしてお待ちしております。
それにしても「最終的なテーマ」とは一体…。
現在、子供が菓子をちびちび食べるように、筒井先生の新著「世界はゴ冗談」を少しずつ読み進めております。
八十歳を超えていながら、このように自由で過激な作品が書けることに感銘を受けていたのですが、五月九日付けの日碌に「新たな長篇にとりかかろうとしているのだが」とあるのを見て、筒井先生の旺盛な創作欲にすっかり打ちのめされ、どうしても気持ちを伝えたくなりコメント致します。
筒井先生の作品に接すると、いつも「精神的な自由」を突きつけられたような気持ちになります。筒井先生の作品は、歳を重ねるごとに若々しく瑞々しく力強くなるように感じられ、そのことが私を鼓舞します。私もまた自由でありたい、と思わせるのですが、それは筒井先生の作品が真に自由だからなのでしょう。
長篇の構想をお聞きして、石川淳先生が八十歳の頃に書かれた「狂風記」を思い出しました。あのような興奮が再び味わえるのかと今から楽しみです。
『繁栄の昭和』と『世界はゴ冗談』を至福の気持ちで読んでいる最中、
日碌に「新たな長編にとりかかろうとしている」との一文。
頭の中で狂喜乱舞、熱く熱くお待ちしております。
それにしてもなんという創作力、創造エネルギー。
ただただ驚嘆するばかりですm(__)m
あけましておめでとうございます。 御大がSF界の最長老になられるなんて、信じられない気持ちです。若いときの写真しか見たことが無かったので、今のご老人の風体まさか、本当はもっと若いのにわざと老人風に老けさせているのではと疑っています。やなせたかしさんもあれほど生きるとは!いつまでもお元気で。金さん銀さん目指して100歳まで・・・・
前の書込みの訂正。
1) 「試聴」ではなく「視聴」でした。
2) いまソプラノ・リコーダー(当然C管)で吹いてみたら、やっぱりイ短調で吹いていたようです。
宇宙には2種類の生物がいる。
筒井康隆を知っている生物と、知らない生物と。