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読者からのコメント

※現在はコメントの受付をしておりません。

2013年8月17日~2014年12月20日のコメント

や~と
2014年12月20日 20:03

「タイム・トラベラー」をリアル・タイムで試聴されていた方がいらっしゃるのは心強い。

僕は小学生で、あのテーマ曲をソプラノ・リコーダーで吹いていました。
たぶん、楽器の音域に合せてイ短調に移調していたと思います。

最近、当時のヴィデオが発見され(というか提供され)、
大喜びで購入して確認してみると、原曲はニ短調でした。

ひょっとしたら原調でも楽器の音域内で吹いていたのかもしれません。
勝手にメロディーの前後関係(というか相対関係)を合せて吹いていましたが。

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meru2
2014年12月14日 20:55

筒井先生の以前の御小説をいつまでも思い出し、心の支えとなっております。最近では、TV「世にも奇妙な物語」で放映された「走る取的」が楽しかったです。
下記はご連絡事項です。

貴サイトトップページに無断使用の禁止とありましたので、ご連絡させて頂きます。現在、私は https://lms.gacco.org/courses/gacco/ga014/2014_11/aboutを受講しております。この講座では、PDFファイルが使用されており、見辛いと感じたため、ここに下記の文でディスカッションに「笑犬楼大通り」をご紹介いたしました(コメントしました)。尚、文学ではなく統計学の講座であるため、誤解を招くといけないと思い、大変失礼ながら、下記の文章になりました事をお許しいただけましたら幸いです。

「ディスカッションでは、インターネットのため、以前学習した講義の内容がどこに書いてあるのか解らない問題が発生していると思います。 書籍ではページがめくりやすい利点があって、オフィシャルノートには助かっています。 ちなみに、ネットでページをめくる作業が可能であるのは、下記URLかとおもいます。 たまたま、筒井氏が採用していますが、筒井氏の宣伝ではありません。 あくまでも、ページのめくり方をgaccoに活かせたらとの提案です。 http://shokenro.jp/shokenro/book-cover/」

リンクの問題で、もし、張ってはいけないなどのご連絡事項がございましたら私のメールアドレスか、この投稿にコメントを頂けましたら幸いです。
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まりり子
2014年11月24日 19:15

筒井康隆コレクション発刊記念 『日本SFの幼年期を語ろう』に行ってきました。
(同行者いわく)ある意味マニアックというか、
コアな話題が多かったとのことですが、
ファンにとっては垂涎ものといいますか、
本で読んできたエピソードが
新たな語りとして生まれ変わる瞬間に立ち会えたわけで
あっというまの二時間でした。

本当に傘寿になられたとはとても思えなく、ファンの私だけは
年をとって老けていっています(苦笑)が、
貴重なSF的体験をさせていただいて、感謝しております。
コレクションの刊行本当に有難く、めでたく思っております。
どうも有難うございました。

相変わらずの文才のないコメントで恐縮ですが、本当に
楽しかったです。次回も楽しみにしております。
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や~と
2014年11月19日 13:23

『百人の日本人』は肉声のコメント(って言うかtvだけど)を
観られて毎週楽しかったのですが。

『ニッポンの出番』は、とにかくコメントが少くて隔靴掻痒。
(1享受者の使う言葉として不適切用語)

・言い訳、その1

トーキー動画なので「拝見」じゃなくて観ていました。

・言う訳、その2

僕は関東人なので、上方のみの番組は視聴できません。
……うう、グレてやる。

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ゲバゲバ
2014年11月13日 22:54

今度wowowで日本初公開される『ある朝突然、スーパースター』という映画。
これは「おれに関する噂」の盗作ではないのでしょうか?

http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/105621/index.php

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ヒチコック
2014年11月02日 18:50

もう新さんのベンツで・・・って4人でご旅行している記事は読めないんですね。今回はどこへ行かれたんだろうと思って毎回楽しみでした。
ご愁傷様でした。
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や~と
2014年10月23日 22:40

『ウクライナ幻想』拝読しました。

ふと、最近わけ有って読み返したゴーゴリを連想しました。
理由は自分でもよく判りません。

あと、子供の頃読んだ『ルスランとリュドミラ』も思い出しました。
ちょっと的外れだとは思いますが。
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アンディ
2014年10月19日 22:06

本日、奈良県生駒市で行われた山下洋輔ソロコンサートへ行って参りました。
言うまでもなく素晴らしい内容でございまして感動しました。
トークで奈良少年刑務所(洋輔氏の祖父、山下啓次郎氏設計)取り壊しの件について触れられていました。
初めて知った事実で、この件についてはこれからも注目していきたいと思います。
ライヴに感動し会場で販売されていたCDを購入。
それにサインを頂きましたが改めて見るとライナーノーツは筒井先生。
御大のライナーが載ったジャケットに山下氏のサイン、感無量でございます。

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森野サラダ
2014年10月08日 21:07

『聖痕』拝読いたしました。
踊りの師匠になった瑠璃が春琴そのものでにやりといたしました。
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柔月
2014年10月01日 00:34

筒井さん、七日遅れですがお誕生日おめでとうございます。
九月には、世田谷文学館での朗読会と青山ブックセンターでの対談を聞きに行くことができました。
「ペニスに命中」はまだ読んでいないので、朗読によって初めて内容を知りました。たくさん笑わせていただきました。どうしても八十歳というご年齢が気になってしまって失礼で申し訳ないのですが、そのくらいの年齢でまだあんなに笑いを起こさせる小説を書いているということが、ファンとしては筒井さんにとって当たり前のことであって欲しいし当たり前である筈と思うと同時に、やはり感動的でもあります。一般に人は年とともにつまらなくなっていくという思い込みがあるのと、笑いを軽視する人間というのがいつでもある程度存在するせいで、私は笑いを追求し続ける人に対する尊敬の念が非常に強いのです。そんなことを抜きにしても、一時間が本当に短く感じられるほど充実した笑いを堪能しました。それに、とてもいい題名だと思いました。公共の場で友人に話しづらいのが残念です。
対談ではメタフィクションとパラフィクションの間にあるような短篇を書くだろうというご発言があったので、大いに期待しております。
対談の感想を他にも書こうとしましたがあまりまとまらないので、もうひとつだけ。始めの方の、人をびっくりさせたいという気持ちがいちばん強いのかもしれないというお話に、なるほどと思いました。思い出してみれば、初めて筒井さんの小説を読んだときはこんなに面白い小説があるのかと驚き(「農協月へ行く」でした。)、その後数々の「小説ではこんなこともできるのか」という驚きによって、どんどんファンになっていったのでした。飽きっぽい自分が二十年近くもファンでいるのは、ただ「面白い」だけでなく「こんなに面白い」という驚きがあるからなんだろうなと思いました。
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アンディ
2014年09月28日 22:22

日録を楽しみに読まさせて頂いております。

それにしてもなんという忙しさでしょう、
とても傘寿になられる方の仕事量とは思えません。

我らが筒井先生の現役バリバリでご活躍の勇姿に陰ながら応援、
そして逆に元気づけられております。

願わくば、プレゼントされたステッキで街の小生意気な不良どもをコテンパに打ちのめされんことを!笑
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や~と
2014年09月27日 22:31

地の文で「ぼく」と書かれているのを拝読して、思わずニヤニヤしてしまいました。
創作には稚気が必須、分析には知性が必要という常識を再認識しましたから。
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KAGECHIYO
2014年08月12日 14:52

かなり久し振り(数年振り?)にコメントさせていただく者です。
遅まきながら「聖痕」読ませていただきました。

(ここから先はネタバレっぽくなってしまうでしょうか)

主人公はトラウマ的なものを背負いつつ、それと対処しつつ生きていくのかと思いましたら、そちらの影響はほぼないようで、むしろ「現在進行形の不便」への対処にもっぱらエネルギーを使っていましたね。それはそれで大変そうですが(^_^;)
彼の人生には「欠けている要素」がいくつかあるものの、全体として見ればものすごく幸せな人生だな、と思います。

さて、アメリカのラップ歌手が今年4月に「ドラッグでハイになった状態で自らの男性器を切り取ってしまった」ということがあったようですが、その後、落ち着いた状態になったという彼のインタビューを読むと、性というものに対して「聖痕」の主人公と似た考えになっているようなのが興味深いです。
http://www.cnn.co.jp/showbiz/35050949.html
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100円の大根
2014年03月02日 19:35

 東大文学部卒の才女さんも、さん付けで呼んでいたのでこれから小生も右に倣ってもよろしいのではないかと思います。
 
 係りの方に案内された場所は、どうやら永遠の0と進撃の巨人の売上げで建てたと思われる、田舎物が腰を抜かす程ご立派なビルの最上階でした。流石筒井さんともなると出版社の扱いも最上級なのだなぁと感じました。
 
 私自身はサインに詳しくないのですが、作家さんのサインは芸能人やスポーツ選手のサインと違って非常に判りやすくて貰って嬉しいです。
 
 メインの質疑応答に関してですが、来場していて自分の質問が読み上げられた方は幸甚の至りであったと思いますが、その質問が全て高度で知的な内容でしたので、筒井さん曰く、答える価値も無いしょうもない質問をしていた小生は、質問が読み上げられるたびに面から火が出る思いでした。
 
 ご本人はしょっちゅう80、80と言っていますが、あの後10時まで飲む元気があれば、まだまだ現役、新作をばりばり書いていただけると思っております。
 後、「笑っていいとも」には出て欲しかったですね。 

 対不起。
 謝々。
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しにょれ*
2014年03月02日 08:16

久しぶりに投稿しまする!笑犬楼様におかれましてはお忙しくあられても恙無く健やかにお過ごしのことと存じまする!

『創作の極意と掟』を本屋で注文し、届くのを待っているところです。群像に掲載されていた時分に読むことができず届いたらむさぼり読もうと思っています。現在『巨船べラス・レトラス』文春文庫を貪り読んでおります。

ニコニコ生動画で『創作の極意と掟』刊行記念イベント拝見致しました!『鬼仏交替』のご自身による気迫の篭った御年80歳とは到底思えない凄みのある朗読には感動しました!!席に着かれてすぐの日碌にも半分書かれていたギャグ「死後硬直のままで動き回っている時期は過ぎ、そろそろ化石になりかかっている」がスベッたのは残念でした!がしかし「質問へお答え」に至るまでの導入のお喋りでは特に御年80歳とは到底思えない典雅とも言えるような貫禄がありファンにはたまりませぬ!!質問に答えておられる時のお顔とお喋りは・・ちょっと苦労しておられたご様子で面白かったです。会場聴衆には若い人たちが多かったのでしょうか?!

巻頭の序言に「作家としての遺言」とあると記事冒頭にあるMSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/smp/life/news/140226/bks14022610300000-s.htm
も読みまして、『ダンシング・バニティー』では音楽や演劇を意識してフレーズや場面の反復を試みたと答えておられるのが印象的で、まあ本編を読んでからこういうことを書けば良いのですがそれは次回にまたいっぱい書くとして、『『創作の極意と掟』刊行記念インタビュー』映像でも「『反復』ということを何故かどの批評家もあまり言わない」と答えておられるのを観てやっぱりこの『反復』という極意は筒井文学独特のもので『ダンシング・バニティー』に限った事ではなく、随分古くから僕は感じまくっておりましたところのそれは「小説における音楽性」とでも言うべき最大の特徴のひとつでございます。

話変わりまして、前世紀後半からの構造主義の批評やポスト構造主義の「脱構築」の刺激で作品世界をわざと捻じ曲げて面白がるという手法は創作者にとっては新たな文学の可能性を見出す装置のようなものであるのかも知れません。まあ僕は小説を書いておらず書く予定すらありませんのですが、つまり面白いなとは思える訳でございます。バルトの言う垂直の大騒ぎ的に、あるいはまた、ああ、パロディーなどはそのように小難しい事を言わなくても最初から脱構築ではありませんか!わざと自分の作品やオリジナル作品を誤読して辻褄の合わない世界へと踏み込みのめり込んでゆくなんてのはとんでもない魅力であるのであります。

しかしまあ、せっかく作者が美しい形を形作ってその中で言わんとする構築された美観をば惨たらしく解体して人類共通の無意識的な意識の断片にまで切り刻んで批評するなどはとても人間業であるとは思えず野獣の証明のようなことでありまして、脱構築はそのようにそのような再構築を含む訳でございます。僕は音楽家なので例えば神様よりも偉いと思っているヨハン・セバスチャン・バッハのフーガ、いやフーガでは複雑になりすぎるのであまり対位法的ではない楽曲を鋳型としてそこに音符の代わりに文章を放り込んで小説を作ることはできないかと思っているくらいに、構造主義~ポストモダンの流儀というのは注意を引くものであります。しかし一般に楽曲でいうところの「構造」とは「構成」の意味であり、各々のモチーフを構造に置き換えることは本来的に困難であります。

音楽は言語に類する記号ではなく、周波数の共鳴と差異による記号のシステムです。ですから音楽における構造主義~ポストモダン、ポスト構造主義のアナリーゼは最小の単位では殆どこじ付けのようになるとしか思えません。そのような論文を読んでおらずこういうことを言っておるのですが、当たらずとも遠いかも知れませんのでお許し下さい。

それではまた投稿いたしまする!
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道草
2014年02月25日 19:12

最近、老眼のせいで、文庫本を読むのがしんどくなってきました。特に学生時代に購入したものを読むのは大変辛い。

で、電子書籍で先生の著作を探したのですが、これだけ沢山の電子書籍の販売サイトがあるのに、タイトルの数が非常に少ない....。文字を拡大して読める電子書籍でこそ、先生の名作を読みたいと思っているのに。

音楽配信でもそうですが、せっかくのデジタル時代の利便性を旧作・名作で味わえないのは矛盾していて悲しいことですネ。

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ヒチコック
2013年12月20日 22:44

奥様体調よくなられてよかったですね。
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アンディ
2013年12月20日 22:28

筒井先生の初期の短編を読み返していたのですが、
二十歳前後のころ読んだときはゲラゲラ笑いながら読んだ作品たちが五十路となった今読み返すとその凄まじさに背筋が凍ります。
よくぞこのようなものが書け、また発表できたものです。
例えば『農協月へ行く』、なぜこのような作品を書いて発表しようと思ったのか先生に伺いたいほどですが、
それとともになぜこんな危険な作品が発表できたのか不思議でなりません。
なにやらきな臭くなってきた昨今、筒井作品が発禁にならないことを祈るばかりです。
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100円の大根
2013年11月25日 18:20

 ニセ筒井康隆現る?
 
 ちょっと前の話で恐縮ですが、深夜のバラエティ番組に筒井先生の偽者がゲストとして登場しMCと対談するというものが有ったのですが・・とここまで書いたところで、以前本家筒井先生もこのニセ筒井氏のことを昔の俺に似せていると言う風な発言が何処かにあったような気がしてきたのですが、続けます。
 
 何とこのニセ筒井氏、対談の途中で吃驚仰天の行動を起こしたのです!
 
 おもむろに胸ポケットからタバコを取り出し「灰皿有る?」と言い、MCとレギュラーの人にもタバコを勧め、吸い出したのです。
 MCの人も言っていましたが、皆でタバコを吸いながら対談するなんて、近年の嫌煙ブームの中ではひょっとして平成初の光景ではないかとゆうことです。
 いや~、私もテレビを見ていて驚愕しましたし、深夜枠とはいえ、よく放送したもんだと番組関係者のクレームを恐れぬ度胸に感心したことしきりでした。
 後、レギュラーの人の台詞で「タバコは私にとって6本目の指なんです」というのも印象に残っています。
 
 余談ですが、「旅のラゴス」がAmazonが選んだ「オールタイムベスト小説100」に選ばれたことおめでとうございます。
 
 対不起。
 謝々。

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楽喜
2013年08月17日 17:04

リアルタイムで読む環境になかったので単行本で現在拝読中の「聖痕」。おいしいです。特殊な読書作業も楽しいです。褒貶いずれをも拒否する仕掛けの類い希な奇書である本作を、ゆっくり少しずつ読み進めています。昭和40年代初期という主人公の生年設定が少なくともプラマイ一年でほぼ自分と同じであると思われることで個人的な思い入れも強いのでありますが、惜しむらくは自分が、容姿を含めたドラマティックで高貴な貴夫のキャラ設定には及んでいないことですか。生まれ変わったら次は貴夫で。ただし「アレ」ありで。とかなんとか。。。

ふと本日「虚人たち」のレビューをamazonで書いたら、以前からいつか纏めたいと、出来れば筒井氏にお伝えもしたいとの懸案だった、言うなれば「作品論」の短信になり得たので、我ながらこちらに転載したく思いました。以下、お目汚しですが、拙レビューの転載です。

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amazon「虚人たち」レビュー

小説における相対性理論, 2013/8/17

小説家、役者など多様な側面を持つ筒井康隆は、ある種スピリチュアル・マスターであり科学者でもあるのではないかと思う。氏は「虚航船団」の頃、あるエッセイで「作家に分らないことは、世界における自分の作品の客観的な意味である」旨の心情を吐露しておられたが、私の私見ではそれは、大仰に聞こえるかも知れないが、「人類の意識の進化」に関わる使命が、その作家也作品にあるのだと思う。天動説が地動説に席を譲らなければならない葛藤が人間ドラマとして成り立っているのが本作であり、その「イデア」自体が、これを読んだ当時の若く自我の強かった私、つまり「天動説的人間」にとっての「衝撃」であった。「自分」は「人類」つまり「世界」であるから、このことが「作品の世界的な意味」、つまり作品の「客観的な機能」であろう。それが「第一」であり、小説としての実験性、技巧は、それに付随する何かである。少なくとも自分にとっては。常に新しい考え、多次元的な意識を読者に開くのが「意識の先駆者」としての「作家」の使命、「作品」の機能であるという理論である。これが私にとって最も強く機能したのが本作、そして「虚航船団」であった。「虚航船団」においては、「文房具と鼬の邂逅」(「遭遇」ではなく、あえて「邂逅」)が、ただ「手術台の上のミシン」という「異種遭遇がもたらす新規性」という今では陳腐な古いシュールレアリズムの効果をはるかに超えて、何かデジャヴのような、DNAに潜在的に組み込まれた記憶を呼び起こす覚醒効果で機能した。
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以上。でも、一読者として、本当に作者に長年伝えたいと思っていたことでした。

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