朗読をした次の日に神戸へ帰り、翌日は溜った雑用やテレビ、イベ
ントのための読書など下準備をし、次の日は「ビーバップ」の収録、
次の日つまり昨日は上京、その間も山田風太郎賞の候補作を読み続け
る。なんでこんなに多忙になったのか。今日は夕刻よりタクシーで麹
町にある主婦会館プラザエフというところへ行く。出版芸術社の原田
裕が本を出したのでその出版記念会だ。道路が混んでいて、開会の六
時ぎりぎりに間に合う。七階の会場へ行くエレベーターで新井素子と
逢う。パーティのあるホールの前ではさっそく原田氏につかまり、乾
杯の音頭を命じられた。
乾杯の音頭というのはあまり長く挨拶ができないので、短く済ませ
る。「原田さんと初めてお逢いしたのは五十年以上前です。眉村卓が
東都書房から「燃える傾斜」を出したことに触発されて長篇を書き、
原田さんのところに持ち込んだのですが、みごとに没になりました。
腹を立てて淀屋橋の上から川に叩き込んだ、という嘘を言い触らしま
したが、なぜそんな嘘をついたのかわかりません。その原稿が最近出
てきたので読み返しましたが、やはりひどい代物でした。箸にも棒に
もかからない。あの時出版されていなくて本当によかったと胸をなで
おろしています。原田さんのお蔭です。以後しばらくのご無沙汰でし
たが、しばらくといっても三、四十年になるのですが、出版芸術社の
社長になられた原田さんから過去に書いて埋もれていた短篇を短篇集
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