トップへ戻る

偽文士日碌


いかと思って選考会に臨んだのですが、さすが谷崎賞選考委員だけあ
って○が四つに△がひとつという、票が割れることの多い谷崎賞の選
考にあっては近年稀に見る、絶讃に近い受賞でした。作品は、東京か
ら離れて、ひとり志摩半島の別荘で暮す初老期の女性の視線と内面を
描いて、みごとです。さらには自然の変化やたたずまいの描写力に、
自然科学者を父に持つわたしの血が大いに騒ぎました。このようなす
ばらしい作品を得たことは、谷崎賞の名誉です。稲葉真弓さん、この
度はありがとうございました」
 この挨拶、稲葉さんのお気に召したようであった。パーティに移る
と、例によって腰かけたきりのおれのところへ次つぎとさまざまな人
がやってくる。この辺がおれを遠巻きにして誰も話しかけてこない風
太郎賞のパーティとは大いに違うところだ。懐かしい人たちと逢い、
話す。困るのは、誰だかわからない人に限って名乗りをせず、やあや
あと話しかけて来ることだ。逆に、こちらが話したいと思う人に限っ
て遠慮をし、話しかけてこなかったりする。手招きして、こっちを見
ていながらなんで話しかけてこないんだと言うと、私のことなどお忘
れかと思いまして、などと言う。
 実はここ一週間ほど、皮膚炎が出たので酒を飲んでいなかったのだ
が、恐るおそる飲むうち何杯もグラスを重ねてしまい、行くつもりの
なかった稲葉さんの二次会にまで須田美音に連れて行かれ、乾杯の挨
拶をさせられてしまった。匆匆に引きあげ、また並木君に送られて帰
宅は九時過ぎとなる。さいわいにも皮膚炎は出なかった。
ページ番号: 499 500

「次のページへ」や、「前のページへ」をクリックすると、ページがめくれます。