十五分後、グレンパークさわんどの駐車場にベンツを預けたまま、
迎えに来た斎藤旅館の送迎用ミニバスに乗る。なんとその道は、今日
の昼ごろ開通したばかりの県道白骨温泉線であり、それまでは三十分
もかけていったん山の上に上り、降りてくるという危険な道しかなか
ったのだ。道理でさっきから開通を祝うていの人たちが写真を撮った
りしていたのだった。このあと旅館では、その本日開通を報道する長
野テレビの番組を見ることになる。何も知らずに来たのだが、なんと
幸運だったことか。
白骨温泉の湯元斎藤旅館は、二百六十余年もの間に山あいの上へ上
へと建増しされ、おれの泊った部屋はその最上階にある介山荘という
建物のいちばん奥の龍之介という部屋であり、だからエレベーターに
乗って四階まであがり、そこからえんえんと二百メートルほど歩いて
次のエレベーターで三階分の高さの二階にあがり、また歩いて次のエ
レベーターで実際は五階分ある四階まであがったいちばん奥の部屋な
のである。この旅館でも一番大きく立派な部屋で、最初の板の間には
その廻りで何人もの宴会ができそうな囲炉裏があって、他にも三室あ
り、それぞれの部屋からは三方の山の景色がながめられるというとん
でもない部屋だ。こんなに広い必要はないのだが、それにしては宿泊
料金が驚くべき安さだ。介山と言い、龍之介と言い、何やら文豪ゆか
りの宿かと思っていたのだが、来たのは中里介山と「大菩薩峠」の主
人公の机龍之介であった。芥川君ではなかったのである。
肝心の温泉は、露天風呂が三十五度しかなく、渡り廊下を歩くうち
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