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偽文士日碌

六月二十三日(水):323-324

 朝日新聞「漂流」の次の回、T・イーグルトンの「文学とは何か」
を書き上げていながら、メールで東京に送るのを忘れてしまった。垂
水のプリンターがオシャカになったので、いちいちこっちへ送ってか
らプリントアウトしなければならないのだ。次の日曜日に出る原稿だ
から、もう間に合わない。歳のせいで次第にやることが疎かになり、
自分が困ることになる。駄目ですなあ。しかたがないから順番を変え
てもらい、その次の筈だったホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」をあわ
てて書き上げる。さいわい昨日の移動日に新幹線車中で、分厚い本だ
から往生しながらも全部読んでしまっていたのだ。写真と一緒にレタ
ーメールで発送する。やれやれ。
 次のディケンズ「荒涼館」が大上朝美から届く。これまた分厚い本
である。文庫本なら四巻になるという大冊だが、筑摩の全集で送られ
てきたから実に重い。つまりは大江健三郎の手配で昔筑摩から借りて
読んだのと同じ本だ。さっそく読み始めるが、字が細かくてすぐに眼
が疲れ出す。一度眼の検査に行かねばなるまい。その大江健三郎から
彼による編集の「伊丹万作エッセイ集」が送られてきていて、中には
がきが入っていた。「『漂流』ストーカーめいてきましたが、今朝の
それを見てアッ!と 言いました」「批評の解剖」の訳者・山内久明
が、駒場以来の友人で英文学の師匠だと言うのである。大江さんもノ
ースロップ・フライに深入りしたらしい。縁が深いなあ。
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